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リストラと妻の死が成功の転機に
【「大定年時代」を生きる】
「私の人生の誤算はたった2つ、リストラと妻の死でした。しかし、今思えば、それこそが成功への転機だった。不思議なもんですね」
そう話すのは、平成11年、京都から滋賀県高島市安曇川町に移住した村上和隆さん (63 )。現在、ネットワークを駆使した経営コンサルタント会社の経営者として、安曇川と都市部を往復する日々を送る。およそ6割が安曇川で購入したログハウス生活だ。(2006.07.03紙面掲載)
東京生まれの村上さんは東京の工業大学を卒業後、大阪の大手電器メーカーに就職。管理技術部に配属され、品質管理のQC活動を推進してきた。しかし、10年目にして、京都の半導体メーカーに転職。電子部品の生産管理に携わった。村上さんの心の片隅にはある原風景があった。
「私が子どものころの東京は、戦後間もない焼け野原でした。昆虫もいればカニだってそのへんを歩いている。そんな環境に戻りたいという願望が常にありましたね」
大学時代も暇を見つけては山や川へ遊びに行った。それは社会人になっても変わらなかった。
一方、会社は生産管理、マネジメントシステムが飛躍的にレベルアップ、目覚ましい成長を遂げた。勤務10年目には総務部に配属され、環境管理やコストダウンを任された。ところが、急転直下、好景気の会社が人員整理を始めた。53歳だった村上さんもリストラ対象にあげられた。
「ショックでしたよ。でも、世間的に見ても、リストラしやすい世代だったんだから、仕方ないといえば仕方ない」
さらに追い打ちをかけるように村上さんを悲劇が襲う。妻の幸子さんが、脳のがんで寝たきりになってしまったのだ。
村上さんは献身的に看病を続けながら、今後の人生を模索した。そんなとき、胸にくすぶっていた田舎へのあこがれが一気に現実味を帯びた。
「ネットワークを駆使した経営コンサルタントをやりたいと思っていたのもあり、田舎でやってみようと。幸い、サラリーマン時代に当時ではまだ珍しいISO認証も取得していましたし、これはいけると思いました」
残念ながら、2年間の闘病の末、幸子さんは他界した。心にぽっかり穴が開いたような日々と決別するためにも、移住を決断。そして、安曇川に出会った。まさに一目ぼれ、さっそく、ログハウスを購入、経営コンサルタント会社も設立した。
8年たった現在、ISOシリーズや環境報告書、省エネなどの支援依頼も引き受け、その過程で知り合った優秀な個人コンサルタントの 斡旋(あつせん)もするなど順風満帆。仕事柄、純田舎暮らしとはいかないが、それがかえって刺激的だと村上さんはいう。
「10日も都会にいれば、涼しい安曇川に帰りたいと思い、逆に田舎にずっといると、久しぶりに都会に出たいなあなんて思いますね。身体が持つまで、この生活を続けたいと思いますよ」
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