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海外に逃避行した“プッツン女優”石原真理子

 海外に逃避行して15年、名前を元の「石原真理子」に戻して、芸能界にカムバックしてきた。
 「芸能界が嫌になって」日本を離れたようで、プッツン女優ならではの行動だった。
 「1991年に米国に渡り、最初は大学に通っていたそうです。その後は、仕事もしたようですが、何もしていなかった時期もあった。映画やテレビドラマのエキストラをやったり、ラスベガスではショーの開演を待って行列に並ぶお客さんの写真を撮るカメラガールなんかもやっていたみたい。あとは、現地の雑誌の取材アシスタントなんかも経験した、と。米国で色々なことを経験できてよかったんじゃないですか。思ったより元気そうでした」とは、今年6月、石原を取材した芸能記者。

 聖心女子学院高等科在学中の80年、薬師丸ひろ子主演の映画「翔んだカップル」でデビュー。16歳だった。
 「芸能活動をしたい、と堀越高校に転校するなど意欲は十分でした。都会的香りの漂う清純派女優として人気を得た」と当時を知る芸能関係者。
 女優としての人気を確立したのは83年放送のTBSドラマ「ふぞろいの林檎たち」。山田太一原作・脚本のドラマで、落ちこぼれ大学生3人の青春を描いた。主題歌にはサザンオールスターズ「いとしのエリー」が使われ、ドラマとともに大ヒットした。
 また、86年の実写版映画「めぞん一刻」では、主人公の音無響子を演じて、漫画ファンからも支持を得た。
 しかし、私生活では不倫騒動などさまざまなスキャンダルで話題になり、その頃から、藤谷美和子と並ぶプッツン女優の異名をとり、注目を集めた。
 単身で渡米し、ロサンゼルスに住んだが、その後、パリに渡るなど転々。93年に帰国して「真理子」から「真理絵」に本名を変え、芸名も「石原真理絵」にした。
 「本人は心機一転だったようですが、思ったほどの活動はできなかった。話題になったのは、初のヌード写真集(Marie!)を発表したことぐらい。今になってみれば、消し去りたい過去かもしれません」(石原を知るプロダクション関係者)
 95年の再渡米で、ロスの大学に入学。本人は当時を「私のことを忘れてという思いだった」とし、「できるだけ、日本の情報を遮断したかった」と振り返っている。
 帰国したのは四十路を迎えた2年前の2004年。「ふぞろいの林檎たち」のメンバーだった中井貴一や時任三郎らと再会した時、「またやりたいね」と石原はノスタルジックな気分になった。
 山田太一氏の意思次第だというが、「ふぞろいの林檎たちパート5」の企画も進んでいるという。
 「仕事に関しては走りたい気分」と石原。今後は歌や舞台にもチャレンジしたいという。秋には、単発だがテレビドラマにも出演予定だ。(2006.10.03紙面掲載)
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【いしら・まりこ】
1964年2月4日生まれ、東京都出。

投稿日: 2006年10月18日

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