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ゴールデントライアングルに潜入しました(上)
■巨漢記者の台湾見聞録
大学の秋季講義と冬季講義のインターバル休暇が1週間もあるというので、思い切ってタイ、ラオス、ミャンマー(ビルマ)にまたがるゴールデントライアングル(金三角)に潜入してきた。
「台湾見聞録」から外れるじゃないか、といぶかしむ声も多かろう。が、第7回で紹介したように、1949年、国共内戦に敗れた蒋介石総統と国民党軍が台湾に逃げ込んだ後も、金三角に留まって戦闘を続けた国民党軍第93師団などは実在したのである。
その老兵たちのうち、1961年の解散後も、台湾撤退を拒んだ将兵の子孫が住む村が今も金三角山中にあるというのだ。
台北から中華航空のタイ・チェンマイ直行便とバスを乗り継いでチェンライへ。
そこからはオフロード車を雇って山道をさすらいまくったのだが、10年前までの、ケシの花とアヘンが渦巻いていた時代はすでに終結し、都市部に限定すれば、今や拍子抜けするほどの観光地だ。
「ここ10年、台湾の技術指導で、みんなお茶の栽培に切り替えたのよ。今や高山烏龍茶などは台湾に逆に輸出しているほど」
こう語るのは、台湾や日本の健康志向を読んで、いち早く無農薬茶の栽培に乗り出し、チェンライ市内で茶葉店を経営する老兵の子孫らだ。
ひゃー、と思わず驚きたくなったのは、台湾でそのまま店頭に並べられるよう、パッケージもおしゃれで、日本語の説明文も付けるなど、輸出準備は万端なのだ。
「よ、よ、要するに、世界的批判を浴びたアヘンの代替作物である金三角製の台湾茶が、日本人の台湾旅行の土産になっちょるっちゅうわけですな!」
下手な発音で目の玉飛び出るような会話を交わしたことを反すうしつつ、山道をオフロード車で飛ばせば、「今でもこっそりケシを栽培しとるやろ」と突っ込みたくなるようなアカ族やリス族などの少数民族の集落が点々。
アカ族のおばあさんの頭には英国統治時代のインドルピーが装飾として連なり、ビルマがアヘン戦争を引き起こした英国の支配下にあったことを思い出させてくれた。
やがてビルマ国境付近のメーサロン(美斯麗)に到着すると、集落には漢字併記の看板が乱立し、交わす言葉はまぎれもなく漢語だ。
食事に立ち寄ったレストランも、孫文が革命軍強化のために設立した黄埔軍官学校出の国民党軍将校の子孫らが経営しており、女主人によると、当時、国民党軍の残党を率いて戦闘に明け暮れた90歳近い老将軍が今も健在だという。
「その名は雷雨田将軍。訪ねてみなさい。電話しておくから」
さっそく、4駆を走らせ、その老将軍が日がな一日、茶を飲みつつ過ごすという元司令部跡地のリゾート施設を訪れた。
果たして東屋風の場所でゆったりと茶をすすっていた老人が、「日本人がわざわざ何しにきたのかな」と、雲南なまりの強い漢語で語りだした。
身長180センチはある長身で、今も背筋はピンと伸び、手にした杖をサーベルに持ち変えたなら、将軍の威厳はそのままに違いない。
「いやー、オラァこの地の国民党軍の話が聞きたいだけズラ」
下手な発音で正直に答えると、しゃべる、しゃべる。雷将軍はまるでマシンガンのようにしゃべりだし、その話は1時間以上も続いたのである。その驚愕の内容とは・・・
(明日につづく)
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●吉村剛史
会社から学費を騙し取り、9月から夕刊フジ関西総局在籍のまま海外の大学で勉強している不惑の留学生記者。数々のペテンを駆使してもぐりこんだ先は台湾の名門校「台湾大学」。日本時代の旧制台北帝大の伝統を受け継いでいるだけに講師陣もハイレベルで、言葉の壁と連日の山のような課題に体重120キロの巨体は早くも息切れ気味。漢語の習得はもちろん、帰国までに「もこみち級まで減量する」のが目標。


