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ゴールデントライアングルに潜入しました(下)
■巨漢記者の台湾見聞録
国共内戦で敗れた後も蒋介石総統とともに台湾に逃げ込まず、ゴールデントライアングルで戦闘を続けた国民党軍将兵の子孫が今なお暮らすという、タイのミャンマー(ビルマ)国境近くにある山里メーサロン。
当時、残党を率いて戦闘に明け暮れた元国民党陸軍中将、雷雨田氏(88)は今も健在で、突然の日本人の訪問にも、驚くどころか、口角泡を飛ばしてしゃべり始めた。
正直いって、40分を過ぎたあたりから、ちょっと「巻き」を出したかったほどだ。
「抗日戦争以来、戦闘に継ぐ戦闘じゃった。李国輝、李弥や段希文といった将軍も、外界で麻薬王と呼ばれ、つい10年前まで武装勢力を率いていた張奇夫(クンサー)なども、ワシはみな知っておるぞ」
将軍は「雲南省曲渓の生まれで民国7(1918)年生まれ」という。南京中央憲兵学校卒の職業軍人で国共内戦では1950年にビルマに逃れ、国民党軍残党に合流。
米国の水面下の武器供与などの窓口役も務め、金門島砲戦の際に「背後を突け」との蒋介石の命で雲南省に総攻撃を敢行し、一部地域の占領に成功したことや、国民党軍の居座りを嫌った独立間もないビルマ政府軍との相次ぐ戦闘など、恐縮だが、まるで講談話のようだ。
最終的には、多数の雲南出身兵とともに、遠い台湾に撤退せず、故郷に近い同地でタイ国王への帰順を決意し、生き残る道を開いたのだが、「その際、タイへの忠誠心を試され、ゲリラ部隊掃討戦にも駆り出された。民国68(1979)年のことだ。将兵はもう老境に達していたよ」という。
「日本にも、共産党軍にも、蒋介石にも、今の台湾にもいいたいことは山ほどある」という将軍だが、最も興奮したのは米国の関与についてだ。
将軍いわく、「抗日戦争以来、この地で米国と付き合ってきた。ベトナム戦争にも投入されかけ、チベット独立に協力を要請され、軍の台湾からの独立を求められるなど、翻弄され続けた。ワシには彼らを批判する権利があるのだっ!」
ほんの10年前まで「過去は語らない」と公言していたという老将軍の、こぶしを振り回し、ジェットコースター級の演説は目からウロコの連続だ。
その後、近くの集落をさまよい歩いたが、75―85歳の老兵らは、最近、相次いで他界しており、今は集落に数人で、しかも車椅子や寝たきりになっている人も多い。
国民党軍式の敬礼で、「相当辛苦了」(ほんとに辛かったよ)と語ってくれた楊富国さん(82)の頭には、銃弾が削った溝があり、左手親指がなかった。
そうそう、会った人全員に「日本の参院議員で民国50(1961)年にラオスで行方不明になった元帝国陸軍参謀、辻政信について知らないか」と訪ねたが、誰もが「米国の軍事顧問団はいたが日本の旧軍人の関与は知らない」という返答。
しかし、中には「そういえば、張奇夫の軍は日本式軍事教練を取り入れ、少数で大部隊に襲撃をかける戦術に長けていた」と語る人も。
「桃源郷」とまではいえまいが、今回は、なんだかインディ・ジョーンズばりに、21世紀の隠れ里をのぞいてしまった巨漢記者なのであった。
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●吉村剛史
会社から学費を騙し取り、9月から夕刊フジ関西総局在籍のまま海外の大学で勉強している不惑の留学生記者。数々のペテンを駆使してもぐりこんだ先は台湾の名門校「台湾大学」。日本時代の旧制台北帝大の伝統を受け継いでいるだけに講師陣もハイレベルで、言葉の壁と連日の山のような課題に体重120キロの巨体は早くも息切れ気味。漢語の習得はもちろん、帰国までに「もこみち級まで減量する」のが目標。
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写真
泰北義民文史館(上から2枚目)
中華学校校庭(同3枚目)
