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桜井鉄太郎「ユメの行方」序章―第3回
<1974 09.19 荻窪 LIVE HOUSE :viva non ~リオナ邸>
しなやかな指を入念にウォームアップしながらリオナはグランドピアノの前に座った。あまり換気の良くない店内の空気は、すえたウイスキーやタバコのヤニの匂いで淀んでいた。
突然シカゴスタイルのブルースピアノが切り裂くように店内に鳴り響く。眉間に縦皺を刻みながらまるで何かに復讐しているかのように早いパッセージで鍵盤に指を踊らせていくリオナを、背中に鳥肌が立つのを感じながらトキオは凝視していた。
と、いきなり曲調がガラリと変わった。明るいアップテンポのシャッフルだ。何処かで聞いたことがある。そうだローラ ニーロの『LU』だ。この曲が入っている『イーライと13番目の懺悔』というアルバムはトキオのフェイバリットである。
弾き終わり、わずかに首を傾げて照れたような笑みを浮かべたリオナは、上気した表情で見つめてきた。トキオは曖昧に視線をそらす。
「どうだった?」
「まあまあだな」
わざとぶっきらぼうに答えると、トキオはせっかちにタバコに火をつけた。カウンターのスツールにかるく体をあずけ、トキオはぎこちなくリオナを抱き寄せて肩に腕をまわした。彼女はトキオから素早くすり抜けると、溜息に似た切ない吐息をつき、『外に出よう」と言った。
重たい錆の浮き出た鉄の扉を肩口で押して外に出ると、体中の血液が入れ変わったようにめまいがした。秋の初めにしては湿気の強い外気が生暖かく頬をなでる。見上げると硬く冴えざえとした空が広がっている。
リオナは風のようにかろやかにスキップを踏みながら駅前の商店街を通り抜け勝手知ったる様子で見知らぬ住宅街を突き進んでいく。
「ここよ」。彼女が指差した先には見たこともないような大邸宅がそびえ立っていた。手慣れた手つきでセキュリティーの厳重そうな玄関の扉を開けると、トキオを手招きしながらリオナは迷路のような廊下を滑るように歩いていく。あっけにとられて、なすすべもなく後に従うトキオはすっかり自分を見失っていた。
30畳はあるかと思われるリオナの部屋は、ある意味想像通りの光景だった。女の子らしいものと言ったらアンティークなドレッサーくらい。ベッドもごくシンプルなセミダブルのオーソドックスなもの。ひと際目を惹くのはヴェーゼンドルファーの真っ白なフルコンのグランドピアノの存在だった。あとはガランとした床空間に雑然と放られた数々のLPレコード群。
所在なさげに部屋の隅にしゃがみこんだトキオに対してリオナは饒舌に自分自身のことを語り始めた。作詞家になることを目指していること、4分の1だけフランスの血が入ってること、月に2回はお茶の水のジャズクラブで歌っていること、都内の有名なお嬢さん大学の2年生であること、viva nonには週に5回は通ってること、社長の龍さんとは一度だけ寝たことがあることなどなど。
話を聞いてるうちに苛立ちが募ってきたトキオは、大切にしていた何かが不意に飛び去っていってしまったような衝撃を受けていた。
「どうしたの?」
トキオの異変に気づいたリオナは曖昧な笑顔で取り繕おうとした。
「知り合ったばかりの金持ちお嬢の行状記なんかには悪いけど興味ないんだ。そう言うと、驚きの表情を隠せないリオナを振り返ることもなくトキオは部屋を飛び出した。
<この項つづく>
BACK GROUND MUSIC: LAURA NYRO/ イーライと13番目の懺悔
◇
【この連載について】
1974年、まだJ―POPなどと呼ばれていないころの日本の音楽シーン黎明期。主人公・幾田トキオは音楽業界人としての第一歩を歩み始めた。以来30数年、さまざまな場所・局面で出会った個性あふれるミュージシャンや業界人らとの交流を小説仕立てで綴る“ドキュメントフィクション”。執筆者は音楽ユニット「Cosa Nostra(コーザ・ノストラ)」などを手がけるミュージシャン・音楽プロデューサーの桜井鉄太郎氏。同氏のブログは桜井鉄太郎.jp
【登場人物】
幾田トキオ(20歳):見習い音楽スタッフ、早大生
リオナ(19歳):viva non の常連、作詞家の卵
長澤ノブロウ(24歳):「sweet money」のマネジャー
田城旭春(21歳):『sweetmoney」の天才リードボーカル
矢野龍(30歳):『viva non』のやり手経営者

