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窮屈な社会に老人がキレる!「暴走老人」著者・藤原智美さんインタビュー
おかしな老人が増えている。ゴミ屋敷に住んで近所に怒鳴りまくる老人、徒党を組んで女性を襲う老人、「ヨドバシガメ」と甲羅に書いた亀を犬につないで虐待する老人… 挙げればキリがないが、「老人たちの行動から今の社会が実に窮屈であるということを言いたかった」と「暴走老人」(文芸春秋)の著者、藤原智美さんはいう。暴走は今や若者だけの“特権”ではないらしい。
―肉体が老いれば、自然と精神も落ち着き成熟していくものだと漠然と思っていたのでタイトルには違和感がありました
「ある意味、今の老人は子どもと一緒。それは未熟ということではなく、携帯やパソコンを使いこなせないと不便な世の中に急激になって、現代社会に適応するような暮らし方とか考え方とか生活のスキルがなく、ついていけないから。ショートカットや裏技など新しいことも子どもは勝手に覚えるが、老人はそうはいかない。子育てと同時に老人育てが必要になっている」
―先日、電車内でジーンズをはいてへそを出しているおばあちゃんが前に立った。シルバーシートに座っていたのですが譲るべきかどうか悩みました
「それは譲ったら怒られるでしょう。最近、携帯のCMでサッカーをやっておじいちゃんが携帯で家族に報告すると『おじいちゃん若い!』といわれ、それが理想像のように描かれていますが、それに乗らなきゃと思うおじいちゃん、おばあちゃんがいるとすれば痛ましいことです」
―あるべき老人像が変わってきている?
「八さん、熊さんの喧嘩に近所のご隠居さんが仲裁に入ったり、泣いた子も絶対泣きやむ子守がうまいおばあちゃんなど、かつての老人には何かあったら意見を聞くご意見番や知恵袋の役割があった。今は75歳でフルマラソンを走れるとか元気にフラダンスをやってるとか、フィジカルエリートがメディアでもてはやされる。普通の老人にはできないことです」
―昔の老人と今の老人の違いは
「かつての老人には人間関係の中で、“役立ってる感”があった。フィジカルエリートでもフラダンスでも『いやあすごいですねえ』と言われても、『ありがとう』の対象ではない。いくら趣味をやっても人の役に立つわけではなく、同じ喜びでも根底にあるものが違う」
―暴走のきっかけは何でしょうか
「空気を読めないということが大きい。例えば、電車の4人掛けに座り合わせたら、かつては話したり、みかんをあげたりして交流するのが当たり前だった。そんな時代に育ち今の空気を読めない老人が話しかけることは、ナマのコミュニケーションに疲れている世代にとっては迷惑と感じる。そういう互いに窮屈な気分を敏感に感じざるを得ない老人はキレやすくなるでしょう」
―やはり鈍感力がものをいう
「私は鈍感だ、と居直ることが通用するのは力のある人です。そうでない老人は社会の空気と自分がかけ離れていることに敏感にならざるを得ず、実際に失敗も多いはずです。鈍感でいられないから大変なんです」
―ご自身が暴走する可能性は
「指で携帯を打つのとパソコンで打つスピードが同じ世代がいると聞いて慄然とした。そんなことが当たり前になったらもうダメです。自分自身がスタンダードから外れていることも実感しているし、もう片足をつっこんでいるかもしれないですね」
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ふじわら・ともみ
1955年、福岡市生まれ。フリーランスのライターとして活躍後、1990年に『王を撃て』で文壇デビューし、92年『運転士』で第107回芥川賞を受賞。主な小説は『群体(クラスター)』『モナの瞳』など。97年には住まいの空間構造と家族の社会関係を独自の視点で取材・考察したドキュメンタリー作品『「家をつくる」ということ』がベストセラーになる。以後、『家族を「する」家』、 『なぜ、その子供は腕のない絵を描いたか』、 『ぼくが眠って考えたこと』などノンフィクション作品を多数発表している。(2007.10.05紙面掲載)


