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光市母子殺害・本村洋さん意見陳述全容「君の罪は万死に値する」
ぜひ、あらためて読んでいただきたい文章がある。そしてこの裁判の行方を注目してほしい。山口県光市で99年、妻子を殺害された本村洋さん(31)が広島高裁の差し戻し控訴審で行った意見陳述のほぼ全容だ。
当時18歳の元少年A(26)は本村さんの妻、弥生さん(当時23歳)と長女の夕夏ちゃん(同11カ月)を殺害したとして殺人や強姦致死罪に問われている。意見陳述が行われたのは9月20日。10月18日に検察側、12月4日に弁護側の最終弁論があり、結審する。
この裁判で意見陳述を行うのは2回目となります。最初は、5年9カ月前の平成13年12月26日、この広島高裁でした。事件発生から2年8カ月が経過したときです。そのとき、私は意見陳述の冒頭で以下のように述べました。
「私がここで発言する内容は、すべてA君、君に聞いてほしいことです。私が発した言葉のうち、ひと言でもふた言でも多くの言葉が君の心に届き、君が犯してしまった罪について少しでも考察を深める手助けになればと思います」
そして、以下のように続けました。
「妻と娘の最期を知っているのは、君だけです。妻と娘の最期の表情や最期に残した言葉を知っているのは君だけです。妻は君に首を絞められ、息絶えるまでの間、どんな表情をしていたか、どんな言葉を残したか。母親を目の前で殺された娘はどんな泣き声だったか、必死にハイハイして君から逃れ、息絶えた母親に少しでも近づこうとした娘の姿はどんなだったか。君はそれを忘れてはいけない。妻と娘の最期の姿。それが、君の犯した罪だからです。君がどんな家庭環境で育ち、どのような経験を経て犯罪に至ったかが罪ではない。君が殺した人の夢や希望、人生そのものを奪ったことが罪なのだから。そして、君は妻と娘のことを何ひとつ知らない。だからこそ反省もできないし、己の犯した罪の大きさを知ることすらできない。ただ唯一、君が妻と娘の人生を知る術として、妻と娘の最期の姿がある。きっと、妻と娘は最期まで懸命に生きようとしたと思う。生きたいと願ったと思う。その姿を、君は見ている。妻と娘の最期の表情や言葉を、君は忘れてはならない。毎日思い出し、そして己の犯した罪を悟る努力をしなければならない」
そして、最後にこう述べました。
「君が犯した罪は万死に値します。いかなる判決が下されようとも、このことだけは忘れないでほしい」
私が初めて意見陳述したときは、過去の判例から推察して死刑判決が下される可能性は少ないと思っていました。つまり君が社会復帰することを考えて、2度と同じ過ちを犯してほしくないと思い、少しでも反省を深め、人間としての心を取り戻せるようにと、一生懸命に話しました。
そのときから5年以上の歳月が流れ、死刑判決が下される可能性が高まり、弁護人が代わり、そして、君は主張を一変させた。
私は、なぜ弁護人が最高裁弁論期日のわずか2週間前に交代したのか理解に苦しみます。加えて、最高裁の公判の欠席など許されない行為だと思っています。そして、弁護人が代わったとたんに君の主張が大きく変わったことが、私を今、最も苦しめています。
最近では、被告人の主張が一変したことについて、弁護団の方々がインターネット上で裁判に関する資料を公開し、弁護団と君の新たな主張として、社会へ向けて発信しています。この事件に関する報告会のようなものを、弁護士会を挙げて開催しているとも聞きます。
インターネット上で妻が絞殺されたときの状況を図解した画像などが無作為に流布され、私の家族の殺され方などが議論されている状況を、決して快く思っていません。しかしながら言論や表現の自由は保障されるべき権利でありますので、私が異議を唱えることはできないと思い、沈痛な思いで静観しています。
ただ、自分でもうまく感情を理解できないのですが、殺されている状況が図解されている妻の悔しさを思うと涙があふれてきます。怒りなのか、虚しさなのか、この感情をどのような言葉で表せばよいのか分かりません。ただ、家族の命をもてあそばれているような気持ちになるのは確かだと思います。
【反省うそだったのか】
私は事件直後に、ひとつの選択をしました。
いっさい社会に対し発言せず、このまま事件が風化し、人知れず裁判が終結するのを静観すべきか。それとも、積極的に社会に対し発言を行い、事件が社会の目にさらされることで、司法制度や犯罪被害者の置かれる状況の問題点を見いだしてもらうべきか。
そして、私は後者を選択しました。家族の命を通して、社会に何か新しい視点や課題を見いだしていただけるならば、それこそが家族の命を無駄にしないことにつながると思ったからです。
しかし、先のような事態を目の当たりにすると、私の判断が間違っていたのではないかと、悔悟の気持ちがわいてきます。
しかし、このような事態になったのは、これまで認めてきた犯行事実を根底から大きく一変させ、私たち遺族だけでなく、事件に関心を寄せていただいていた世間の皆様もこの新しい主張が理解しがたいことばかりであったことが原因だと考えています。
なぜ1審、2審で争点になっていなかったことが、弁護人が代わって以降、唐突に主張されるようになったのか、私は理解できませんし、納得しがたいです。弁護人の1人は被告人の新しい主張について、インターネット上で以下のように述べられています。
「現在の被告人の発言は、弁護人が指示したり教唆したりしたものではありません。被告人は旧1、2審では訴訟記録の差し入れもしてもらっていなかったので、記憶喚起も曖昧であり、検察官の主張に違和感を唱えても、前弁護人に『下手に争って死刑のリスクを高めるより、反省の情を示して無期懲役を確実にすることが得策』と示唆を受けたと述べます」
本当に前弁護人がこのように指示したのであれば、刑事訴訟法第1条にうたわれている「事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする」に明らかに違反することになり、前弁護人らは弁護士としての品位に欠く許されない行為だと考えています。
そして遺族としては、弁護人が代わることでここまで被告人の主張が変わってしまうことが非常に不可解でなりません。私たち遺族は、一体何を信じればよいのでしょうか。
A君、私は君に問いたい。
君がこれまで、検察側の起訴事実を大筋で認め、反省しているとして情状酌量を求めていたが、それはすべてうそだと思っていいのですか。私がこれまで信じてきた犯行事実は、私が墓前で妻と娘に報告してきた犯行事実は、すべてうそだったと思っていいのですか。本当に、本法廷で君が述べていることが真実と理解していいのですか。
しかし、私はどうしても納得できない。私はずっとこの裁判を傍聴し続けてきたが、どうしても君が心の底から真実を話しているように思えない。君の言葉は、全く心に入ってこない。たとえ、この裁判で君の新たな主張が認められず、裁判が終結したとしても、私には疑心が残ると思う。事件の真相は、君しか知らない。
よって、この法廷で真実を述べているか否かなど、私が君の証言について是非を言うべきでないかもしれない。しかし、私は君がこの法廷で真実を語っているとは、到底思えない。今の君の言葉は、まったく信じられない。だから今後、君が謝罪の言葉を述べようともその言葉は信じられないし、君が謝罪の手紙を何通つづろうとも読むに値しないと思っている。少なくとも、この裁判が終結するまでは君の言葉は信じられない。
そして、もし、ここでの発言が真実だとすれば、私は君に絶望する。君はこの罪に対し、生涯反省できないと思うからだ。
君は殺意もなく、偶発的に人の家に上がり込み、2人の人間を殺したことになる。こんな恐ろしい人間がいるだろうか。私は、君が反省するには、妻と娘の最期の姿を毎日でも思い浮かべるしかないと思っていた。しかし、君は殺意もなく、生きたいと思い最後の力を振り絞って抵抗したであろう妻と娘の最期が記憶にないのだから、反省のしようがないと思っている。
【私の正義感】
A君。私が君に言葉をかけることは、これが最後だと思う。最後に、私が事件後に知った言葉を君に伝えます。中国、春秋戦国時代の老子の言葉です。
「天網恢々、疎にして漏らさず」
意味が分からなければ、自分で調べてもらえればと思う。そして、この言葉の意味をよく考えてほしい。
君が、裁判で発言できる機会は残り少ないと思う。自分がこの裁判で何を裁かれているのか、己の犯した罪が何なのか、自分が何をなさなければならないのかをよく考え、発言してほしい。そして、君の犯した罪は、万死に値する。君は自らの命をもって罪を償わなければならない。
裁判官の皆様。事件発生から8年以上が経過しました。この間、多くの悩みや苦しみがありました。しかし、くじけずに頑張って前へ進むことで、多くの方と出会い支えられて、今日まで生きてきました。今ではしっかり地に足を着け、前を向いて歩いています。今日まで支援してくださった方々に深く感謝しています。そして、私の行動をいつも遠くから優しく見守ってくれた両親や姉、妻のご家族様にも深く感謝しています。
私は、事件当初のように心が怒りや憎しみだけで満たされているわけではありません。しかし、冷静になればなるほど、やはり妻と娘の命を 殺(あや)めた罪は命をもって償うしかないという思いを深くしています。
そして、私が年を重ねるごとに多くの素晴らしい出会いがあり、感動があり、学ぶことがあり、人生の素晴らしさを噛み締めています。私が人生の素晴らしさを感じるたびに、妻と娘にも本当は素晴らしい人生が用意されていたはずだと思い、早すぎる家族の死がかわいそうでなりません。
私たち家族がともに暮らせるようになるまでは、決して順風満帆な道のりではありませんでした。学生結婚だったため、私の経済力がまったくなく、娘が産まれても新居がないような状況で、妻にはいつも迷惑ばかり掛けてしまい、何のぜいたくもさせてあげることができませんでした。娘には、自分の名前の由来すら教えてあげることができませんでした。
しかし、妻は、どんなにつらいときもいつも前向きで、明るい笑顔で私を迎えてくれました。本当に美しく尊敬できる人でした。娘はよく笑う愛(あい)嬌(きよう)のいい、おとなしいかわいい子でした。私は妻と出会い、娘を授かることができたことに感謝しています。残念ながら、妻と娘に感謝の気持ちを伝えることができませんでした。そのことが悲しく、悔しくてなりません。私たち家族の未来を奪った被告人の行為に対し、怒りを禁じえません。
私は家族を失って家族の大切さ、命の尊さを知りました。妻と娘から、命の尊さを教えてもらいました。私は、人の人生を奪うこと、人の命を奪うことがいかに卑劣で許されない行為かを痛感しました。
だからこそ、人の命を身勝手にも奪った者は、その命をもって償うしかないと思っています。それが私の正義感であり、私の思う社会正義です。そして、司法は社会正義を実現し、社会の健全化に寄与しなければ存在意義はないと思っています。
私は、妻と娘の命を奪った被告人に対し、死刑を望みます。そして、正義を実現するために、司法には死刑を科していただきたくお願い申し上げます。(2007.10.17紙面掲載)
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