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桜井鉄太郎「ユメの行方」1章―第6回
<1975.05.15 荻窪 Live House:viva non『夕凪セイラー』Live>
まだミュージシャンが店に入る前のviva nonにはゆっくりした時間が流れていた。コーヒーのいい香りが鼻をくすぐる。ナイスが入れてくれるブルマンはたぶん日本一うまいんじゃないんだろうか?
のんびりとカウンターに頬杖をついて、トキオはいい気になって常連と店の人間にどうでもいいうんちくをたれていた。もうすっかりviva nonの主にでもなったつもりのトキオに、反発している人間も実は少なからずいる。
確かに店のスタッフになってからこの8カ月、毎月20本以上のライブをブッキングし、それをプロモーションしながらPAとMCをこなすという八面六臂の活躍をし、音楽関係者やミュージシャンとのコミュニケーションを着実に築いてきたトキオの実績は、それなりには評価されていた。ただし、店の若いスタッフたちはある種特別扱いされて企画部門だけやっているトキオの存在に、ジェラシーを感じてることは間違いない。みんな音楽が大好きで、なかにはトキオのように音楽業界に入ることを夢見てこの店のスタッフになった者も多いのだ。
生来楽天家で暢気なトキオにはいまひとつデリカシーに欠けるところがあったようだ。今は表面上仲良くしてるとはいえ店長のヨッチにはトキオに対してとりわけ含むところがあるのだろう。なにかにつけあたりがきついこともある。ただ一人ナイスだけはトキオにシンパシーを寄せてくれていた。
と、突然派手な音をたててドアを開け聡太とリオナが店に入って来た。リオナは得意そうに顎を突き出す独特のポーズで久々にカウンターの右端に座った。半年ぶりに店を訪れるリオナはブロンドのカーリーヘアに変身していた。
「おっ、イメージチェンジやん」。ナイスがへたくそな関西弁でからかうのを無視して、リオナは「なんかいい音楽かけてよ」とぶっきらぼうに言い放った。
「もうすぐライブの準備始めるから駄目だよ」。トキオがたしなめると、「あんたなんかに頼んでないわよ」とつんけん返して来る。あの事件以来、音沙汰のなかった彼女が放つ空気はなんだか陰にこもった重苦しいものだった。
硬い表情を崩さず勝手にDJブースに入っていき、『JANIS JOPLIN』の『Move Over」を大音量でかけるリオナ。最近は聡太と付き合っているらしいのだが、viva nonにはちっとも顔を出してなかった。そもそもトキオとリオナは半年ほど前までは誰もが認める公認の仲だったのだが。ある時期まで2人は惹かれ合い、デートも重ね、嫉妬し合い、喧嘩腰で議論をし、慰め合い、ぴったり息のあったコンビぶりを周りに見せていたのだが、何故か恋人未満の不思議な間柄だった。
年齢よりも立ち居振る舞いが大人なリオナに、トキオはいつしか距離感を感じ始め、そして疎遠になっていったのだった。あることが原因で。そんなことがあっても別に苦にするわけでもなく、聡太との仲が噂になろうが、いつしかトキオの関心の外にリオナは存在していた。大切にしていたはずの何かはある日を境に不意に飛び去っていってしまっていたのだ。
このところトキオの心にはいつのまにか大きな存在となっている女の子がいる。この場の不穏な空気を察知し心配そうにさっきからトキオに視線を投げ掛けている沼田曜子。viva nonにはこのところ週4くらいの割合で足しげく通ってきている。いつも必ずコーヒー一杯でライブ終わりの9時くらいから閉店の朝の5時までおとなしく一人で本を読んでいるような不思議な少女である。一見地味なワンピース姿で化粧っけもなく、腰まで伸びた長い髪だけが印象的な感じだが、よく見ると整った顔立ちで子鹿のようなイノセントな眼がチャーミングだった。
少しばかり取っ付きにくい印象の曜子に、ある日思い切ってナイスが話しかけると、意外にも饒舌に音楽のことを語り始め、いつの間にかトキオも加わっての音楽談義に華を咲かせるようになっていった。店長のヨッチはあんまりいい顔はしなかったが、『お客とのコミュニケーションがウリなんだからさあ、この店は。いいじゃないねえ?」とトキオに相槌を求めてくるナイスには、さすがのヨッチでもなす術はない。
彼女は西荻にある名門女子大の1年生だとかでまだ18歳。元ブランニューデイズの鈴村史郎の大ファンらしく、彼のニューバンド『ワイルドセンチュリー』のライブをviva nonに見に来たのがきっかけで常連になったのだ。
そのとき満員の客席の後方で鈴村のレコードジャケットを胸に抱えたまま心細そうにしていた曜子を、最前列楽屋寄りの特別席まで導いてやり、おまけにライブ後にサインまで鈴村からもらってやったのが縁でトキオは彼女を意識することになる。
このところviva nonには何故か女子大生、それも一人で来る客が多く、それを目当ての男子も当然通い詰め、夜はさながら鮨詰めの学生食堂の様相を呈していた。すれっからしの女の子は意外に少なく、真面目で音楽好きな文学少女タイプの娘が多数派を占めているのだが、その中でも沼田曜子は別格で可愛く、常連からも店員からもマドンナとして奉られつつあった。
最近、viva nonのスタッフの中で客受けNo.1はダントツでニヒルな若林聡太だったが、意外にもトキオはダークホースとして隠れた支持があるようだ。現に曜子は聡太の誘いにはなかなか乗らず、カウンターの中で毎日のように焼きうどんを作っては食べてるトキオの傍にやってきては無駄話を仕掛けてくる。
「ねえ、どうしていつも焼うどんばっかり食べてるの?」
安給料だからこうして自分で作って倹約してるなんて格好悪くてとても言えなかった。もぐもぐ口籠っていると、「今度の水曜日、うちに遊び来ない? いま料理に凝ってるんだ。なんか美味しいもの作って上げるよ。」
妙に上がってしまって「承知しました」などとトキオはあわてて敬語で答えてしまい、食いかけの焼うどんの皿を落としそうになった。なんともバツが悪かったが、心の中は<春がいっぱい>だった。
「いつまで油売ってんだ、もうミュージシャンたちが入る時間だぞ」
悟り切ったキリストのような風貌の店長ヨッチの叱咤にあわててライブセッティングを始める。きょうの出演は初お目見えの『箱田勉と夕凪セイラー』だ。彼らのファーストアルバムは最近店のスタッフ全員のヘビーローテーションになっていて、盤が擦り切れるほど、よくかかっている。当然ライブも期待大だしチケットの出足も好調だ。そんな中で聡太だけは「こんなのどこがいいんだ、馬鹿か?おめーらは」などと毒づいてるのだが、トキオは昨晩DJブースの中でヘッドフォンをして、聡太がこっそり「夕凪セイラー」を聞いてるのを見逃さなかった。
いつのまにかリハーサルが何気なく始まった。メンバーたちは皆なリラックスし切っていて、チューニングしてたいかと思うと、もうニューオリンズ風ファンクインストが濃密な空間をつくりあげはじめていた。
まだ店の掃除をしている最中なのに、気にせずどんどんレイドバックした空気を夕凪のメンバーたちは見事に醸し出していく。とその時、グランドピアノをせっせと磨いていたはずの聡太が、前触れなしにセッションに加わり始めた。リーダーの箱田はそれこそ口をあんぐりの状態だ。ほとんど店でピアノなんか弾いたこともない聡太が、プロ顔負けのプレイを繰り広げているのだ。店中は騒然となり、それはいつしか絶賛の手拍子に変わっていった。
あまりにも見事なアンサンブルに誰もが口を挟めないし制止するものもいない。10分ほどセッションは続いたであろうか。聡太のもとに箱田は満面の笑みを浮かべて歩み寄る。聡太は表情一つ変えず、無愛想に軽く握手にだけ応じると、なんとトイレ掃除を始めてしまう。箱田はヨッチに「あいつは何者だ?」などと尋ねるが、返答することも出来ない。
トキオが代わって答えようとしていると、おもむろに箱田は店のピンク電話から誰かにかけはじめた。「もしもし、川野さん? スゲーめっけものが荻窪のviva nonにいたよ。すぐ来れない?」
たぶん、元ブランニューデイズのあの川野武臣を呼んだに違いない。
トキオはこりゃ凄いことになったぞと興奮してヨッチに話しかけようとしたら、いきなり遮られて今度はヨッチが誰かに電話し始めた。
「田城くんですか? いまどうしてるの? すぐ出て来れない?大変だよ、聡太がとられちゃうよ」と珍しく冷静さを欠いて話してる。
トキオはやっと事態がのみ込めた。そういえば、このあいだの「sweet money」のライブの後、田城が聡太となにやらヒソヒソ深刻に話してたっけ。よく聞き取れなかったけど『おまえがどうしても必要なんだ』なんて言ってたような気がする。まさか愛の告白ってわけじゃないだろうから、たぶん「sweet money」のメンバーになるよう聡太を誘っていたのだろう。しかし、常々ポップスやロックにまったく興味を示してなかった男が何故あんなすごいプレイをやてのけられたんだろう?と、さっきからトキオは素直に疑問に思っていた。
やがてリハーサルが何事もなかったように終わり、客入れを始めようとしたその時、ふたりのミュージシャンが同時に店に入ってきた。息せき切って飛び込んできた「sweet money 」の若きリーダー田城旭春と、何一つ表情を変えず飄々としている大御所、川野武臣だ。一体どうなるんだろうと、トキオは聡太を目で追うと、彼は我関せずといった感じで、なんと最後列にならんでいたた女の子の電話番号を聞き出しつつ必死にメモをとっており、何故かその隣にはしてやったりという表情で溢れんばかりの笑顔の龍さんがいつのまにかいた。
<この項 つづく>
BACK GROUND MUSIC : JANIS JOPLIN / PEARL
[登場人物]
幾田トキオ(21歳):viva nonの企画担当見習い
リオナ(20歳):viva nonの常連、お嬢さま
若林聡太(23歳):音大生、viva nonのバイト
箱田勉(27歳):夕凪セイラーのリーダー
四角純(22歳):viva nonの店長
ナイス白井(20歳):viva nonの店員
川野武臣(29歳):元ブランニューデイズ、大御所
田城旭春(22歳):sweet money の若きリーダー
沼田曜子(18歳):女子大生、viva non のマドンナ
矢野龍(31歳):viva nonのオーナー
【この連載について】
1974年、まだJ―POPなどと呼ばれていないころの日本の音楽シーン黎明期。主人公・幾田トキオは音楽業界人としての第一歩を歩み始めた。以来30数年、さまざまな場所・局面で出会った個性あふれるミュージシャンや業界人らとの交流を小説仕立てで綴る“ドキュメントフィクション”。執筆者は音楽ユニット「Cosa Nostra(コーザ・ノストラ)」などを手がけるミュージシャン・音楽プロデューサーの桜井鉄太郎氏。同氏のブログは桜井鉄太郎.jp
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