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桜井鉄太郎「ユメの行方」1章―第7回

<1975.05.15 荻窪 Live House:viva non 『夕凪セイラー』Live>

yume20071111.jpg 満員のオーディエンスが大熱狂する中、めったにアンコールに応じない箱田が、夕凪セイラーのメンバーと彼の妻でありシンガーのウィンディを伴って再びステージにその姿を現した。上気した表情で箱田は語り始める。「みんな今夜は特別な記念日だ。この店が生んだヒーローを紹介しよう」
 トキオは思わず舌打ちした。こんな呼び出し方であの聡太が出てくるわけがない。もっといい方法はないんかい、と思っていると、なんといつのまにか小ぎれいなダンガリーシャツとブラックジーンズに着替えた聡太が満面に笑みを浮かべてグランドピアノに向かって歩を進めているではないか。トキオは我が目を疑った。

 たぶん、打ち合わせなんか何もしてないだろうに、アンコールナンバーのイントロが始まるやいなや、何年もこのバンドにいるかのような絶妙なコンビネーションで、聡太はこのセッションの主役に早くも躍り出ようとしていた。
 その狂おしいほどの官能的なピアノプレイはあっという間に満員の客を熱狂の渦に叩き込み、誰もが左右に揺れはじめ、手拍手はひときわ高くなり、人々の心を打ち抜くようなビートが容赦なく客席に心地よく刺さる。もはや座っている人間など誰もいやしない。
 うっすらと口許に微笑さえ浮かべ、素人でもわかるその天才ぶりをいかんなく発揮しながら、あくまでもクールにアンサンブルの波間を漂っている聡太。トキオは今までに味わったことのない快感に、PAを操作することさえ忘れてしまっていた。
 たった4分間のアンコールに観客は異常なくらい昂まっている。曲が終わりギターを置いた箱田が、鳴り止まない拍手を浴びながらマイクの前で何かを語ろうとしている。
 「さっきは名前言わなかったよね。ピアノ、若林聡太!」
 紹介されたとたん悪戯っぽい笑顔を浮かべながら、いつの間に持ち込んだのかジンのボトルをラッパ呑みしながら聡太はステージを降りた。夢から醒めたようにトキオはステージにのぼり、いつものルーティンワークをこなす。MCをつとめながら客席後方を注視していると、聡太を囲んで田城、川野、ヨッチそして龍さんがボックス席で何やら深刻な話を始めようとしているところだった。
 いったん客出しを終え、片付けもそこそこにそのテーブルに駆け付けると、いつのまにか「sweet money」の歌姫、大間冴子と箱田も加わって激しいやりとりをしている。
 「ちょっと待ってくださいよ、僕はこの1カ月も前から聡太をsweet moneyに誘っているんですから。今日初めて見た川野さんが横からさらっていくのはいくら大先輩でも承服できないなあ」
 田城が突っかかる。
 川野はあくまでも泰然としていて「まあ聡太君自身に決めてもらえばいいんじゃないかな」などとおっとり構えている。
 大間冴子は心配そうな顔つきで聡太と田城の表情をせわしなく交互に伺ってる。束の間、沈黙が訪れる。トキオはおせっかいにも「スケジュール調整して両方やればいいんじゃないの?」などと割って入るが完全に無視された。
 「どうなんだよ、聡太!」。思いつめた表情で田城は詰め寄った。
 川野は落ち着いた様子で「今度の僕のバンドには絶対君が必要だと思ったんだ。でも強制はしないよ。ただ、この場で決断してほしい」とさりげなく切り出した。
 ふたたびの沈黙が訪れる。
 意を決したように肩をすくめると聡太はきっぱりと宣言した。
 「お二人の誘いは光栄だけど、俺にはもう相思相愛の相手がいるんだ。今後はそいつとしか音楽をやるつもりはない」
 ピンと張りつめていた空気が一瞬で弾けた。
 「誰だよそいつは?」
 あきらめきれない田城はあくまで喰い下がる。
 「戸部良太。知ってるでしょ? 川野さんも、田城も。俺が今、唯一尊敬できる日本人のアーティストなんだ。」
 トキオは思わず唸った。意外だが聡太らしい選択だと思った。トキオも戸部良太のことは前から気になっていて、つい10日前に西荻のviva nonで初めて見た戸部のライブに胸を撃ち抜かれたような衝撃を受け、それ以来、数多い日本のフォークシンガーとりわけボブディラン フォロワーズの中でも別格な存在として意識し出していた。
 当然、川野も田城も「戸部良太」という名前は想像だにしてなかったようで、なんとなく2人とも聡太のことをあきらめざるを得ない雰囲気ができ上がりつつあった。
 「彼は確かにいいシンガーだとは思うけどね、でも君のバックアップがなくても存在は成立しているんじゃないか?」
 ゆったりした口調で川野はしっかりと聡太の目を見据えて言った。
 「そうだよ、あいつのインパクトはギター1本であの詩の世界に聴衆を捉え込んでいくことなんじゃないのか?」と田城も続ける。
 「まあとにかく俺は決心しちまったんだ。奴とバンドを作る。もうレコード会社からも契約の話が来てるんだ、あしからず」
 そう言われてしまうと、田城も川野も気合いをそがれてしまったように言葉も出てこない。やがて音もなく立ち上がると聡太はその場を立ち去ろうとする。
 それを制して、さっきから黙り込んでいた龍さんが口を開いた。
 「川野さん、田城、わかってやってくれ。こいつなりに考えて決断したことなんだ。影ながら見守ってやろうよ」
 すると田城は一瞬駄々っ子のように顔をしかめたが無理矢理ぎごちなく微笑むと無言で店を出て行った。
 川野はさすがに大人の対応を見せ、聡太の手をやさしくとると「頑張ってね、いつか君とは一緒になんかやれそうな気がするんだ」とさりげなくエールを送る。
 この時まさかこの2人が5年後に日本のポップ史を飾るスーパーグループを結成することになるとは誰も想像するよしもない。
     ◇
 片付けも終えてすでに普通の営業に切り替わっているviva nonの店内は、静けさを取り戻していた。ふと見ると店の一番奥のカウンターでいつものようにジンの香りを嗅いで目を細めている聡太がトキオを手招きしている。
 「やあ、心配かけちゃったなあ、トキオにも」
 そう言って嬉しそうにジンを舐めている。
 「ほんとは今日で俺この店をあがるんだよ。だから記念にあんなおイタしちゃったんだ。それと今までお前になんだかつらく当たっててごめんな。音楽のことばかりに一生懸命な<トキオクン>がちょっと鬱陶しかっただけなのさ。まあ、いつもロックやポップスをコケにしてた俺だけど、たまには好きになることだってあるんだぜ」
  そう言いながら傍らから1枚のレコードを取り出した。それはなんと『BEACHBOYS』の「ペットサウンズ」だった。
 「田城のやつがこの間これを聞けってくれたんだ。最初ビーチボーイズなんて馬鹿にしてたんだけど、こいつは見事にハマったなあ」
 意外な事実にトキオはやや戸惑うも、なんだか嬉しかった。当然、すぐさまDJブースに向かい、この世紀の名盤をトキオはかけた。聡太はアルバムのタイトルナンバーがいたくお気に入りらしい。
 「このインスト曲ってブライアン・ウィルソンが『007』のサントラ用に作ったんだけどボツにされたんだってよ」とトキオが豆知識を披露すると、聡太は「くだらねえことよく知ってんな、だからお前はアホなんだよ」と大ウケしてくれた。「そうだ俺がどうして戸部良太をパートナーにしようとしたか分かるか?」
 トキオはキョトンとしてかぶりを振った。
 「それはなあ、<聡太・良太>って漫才師みたいでオモロいからだよ」
 くだらないジョークに自分で笑い転げている。
 これまでの自分に対する冷たい仕打ちが嘘のように、聡太は初めてこうやって心を開いてくれている。トキオは、言いようもなく優しく柔らかな気持ちが静かにあふれてくるのを感じていた。こうして楽しい宴はエンドレスで明け方まで続き、『ペットサウンズ』は途切れなく2人の胸の中で鳴り響き続けるのであった。
<この項つづく>


BACK GROUND MUSIC:BEACH BOYS / PET SOUNDS

[登場人物]
幾田トキオ(21歳):viva nonの企画ブッキング&MC担当
若林聡太(23歳):音大生、天才ピアニスト
箱田勉(27歳):夕凪セイラーのリーダー
ウィンディ(23歳):箱田の妻、シンガー
川野武臣(29歳):元ブランニューデイズ、大御所
田城旭春(22歳):sweet moneyの若きリーダー
大間冴子(21歳):sweet moneyの歌姫
四角純(22歳):viva nonの店長
矢野龍(31歳):viva nonのオーナー
戸部良太(24歳):フォークシンガー、鬼才

投稿日: 2007年11月11日

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