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桜井鉄太郎「ユメの行方」第1章―第8回
<1975.07.04 下北沢南口商店街>
井の頭線の窓から差し込む光には初夏を感じさせる匂いがふくまれていてトキオの心を穏やかにさせてくれる。かたわらにはさっきから一言も喋らない龍さんと西荻viva nonの店長、原敬二が退屈そうに窓の外に視線をやっている。
昼の12時をまわったばかりのこの時刻に3人が珍しくもう行動を開始しているのにはワケがあった。このところ絶好調の売上げをあげている2店のviva nonだが、もはやキャパシティを上回る集客状況となっていて、この際もう1店舗増やして追い風ムードをさらに加速させよう、というオーナーの龍さんの提起が先週の店内会議であり、早速、新天地を「下北沢」に定めてこうしてロケハンに来たのであった。
下北沢駅を降り南口商店街を下っていくと、すれ違う人波は荻窪あたりにはない独特の匂いと活気を醸し出している。
「これはいける予感がするぞ」
ひとりつぶやくと龍さんは勝手知ったる感じで、商店街のはずれにある新築のマンションビルの地下に入っていった。すでに不動産屋から鍵を借りてあったようで、トキオと原もあわてて後に続く。ひんやりと乾いた空気が充満したスケルトンのスペースは,他のviva nonにはないおしゃれでアーティスティックな何かがあった。
「よし!ここを借りちまうぞ。原、お前が店長やれ。スタッフの人選はまかせた。それからトキオ、すぐにオープニングセレモニーのブッキングにかかれ。12月頭には開店だ。忙しくなるぞ!」
いったん言い出したら、あとには引かない龍さんだ。でもviva nonはこの人のこういった直感と勢いで伸びてきた店なのである。おそらく「下北沢viva non」は確実に成功するに違いない。トキオは直感的にそう思った。
初めておとずれた下北沢という街にトキオは短時間で魅せられていった。うまく説明がつかないが、人と人との絆がちゃんと育まれている気配があるのと、外に向かうべきエネルギーがこのエリア一帯をポジティブに駈けめぐっている事実に、たまらない刺激と共感を感じたのだった。
電光石火で不動産屋契約を済ました後、上機嫌の龍さんはトキオと原を連れて、駅向こうの闇市の名残りのある商店街を抜けたところにある古い佇まいの食堂『蜂や』に、空きっ腹を抱えて飛び込んだ。メニューを見てびっくり。ラーメン80円、カレー90円、カツ丼120円、餃子30円などとある。時代が止まったようなこのラインアップにはただただ驚きだ。
凄いスピードでカツ丼をかっ込みながら、龍さんは「下北沢viva nonで日本のライブハウス文化の革命を起こすぞ」などとしきりに2人をアジる。淡白にラーメン1杯をさっさとたいらげ、原は冷静に龍さんの活動提起に耳を傾けているが、トキオはあまりの値段の安さにチャーハンとカレーと餃子を頼んでしまい、心ここにあらずといった案配でただひたすら食欲をぶつけることに夢中になっていた。
『蜂や』をあとにすると、ひとりトキオだけ今夜のライブの準備にとりかかるべく小田急電車と中央線を乗り継いで荻窪に舞い戻った。トキオは日々新しい音楽が新しい才能たちによって生み出されていくこの荻窪viva nonの現場をこよなく愛している。こまかいトラブルは絶えないとはいえ、仕事は一応順調に進んでいた。今日は深夜から長澤ノブロウに伴われて赤坂のクィーンレコードのスタジオに見学しに行くことにもなっている。なんてったって川野武臣の新プロジェクトの録音現場をまのあたりにできるのだ。初めて体験するプロのレコーディングに胸は高鳴る。そう、まさに自分の音楽人生の貴重な1ページが今夜開かれようとしているのだ。
ただその前にひとつの大きな難問が横たわっている。それをこなさないとトキオに明日はない。
なんといっても今日の出演者はあのロックンロールキングのあのお方「郷田真也」だ。失礼があってはいけないし、大御所に「viva nonここにあり」というところを見せたくもある。気負った気持ちと不安な思いで店に入り、ナイス白井に整理券のはけ具合を聞くと、なんとまだ3枚しか出ていないという。青ざめたトキオは郷田のマネージャー、久保二郎にすぐさま電話した。初対面からこの久保には誰もが好感を持たざるを得ないほどの魅力があった。あのやんちゃなキング郷田真也をコントロールできるのは冷静沈着にして頭脳明晰なこの人をおいて音楽業界界には存在しないであろう。
久保は20分ほどで押っ取り刀で駆け付けてきた。トキオと久保は早速、対策を練り始めた。
「とにかくキングが来る前になんとかしなくてはね」
そう言いながらも、特に慌てたふうでもなく久保はクールにコーヒーをすすっている。
そこに常連のジョーカーが入ってきた。viva nonの名物「落書き帳」の主でもある彼に何か策はないかと尋ねてみる。viva nonのめぼしいライブには必ず整理券1番をものにして参加してきたジョーカーこと熊田公彦は法政大学の2年生。まだ20歳のわりには人生を達観しているような落ち着きとシニカルでユーモラスなセンスを持ち、そしておそろしく博学家でもある。もはや荻窪viva nonでは有名人の彼に、「今夜のライブをなんとか格好つくくらいに客を動員する」という難問を相談することにしたのは、トキオにとってごく自然の成り行きだった。ジョーカーはにっこり微笑むとすぐさま躊躇なく自分のスケッチブックを取り出し、得意のイラストを駆使してあっという間にビラ原稿を作り上げると、テキパキとナイスに指示を出して駅前の文房具屋に走らせた。
即席とは思えない程のライブちらしは20分ほどで出来上がり、のんびりと店に顔を出した曜子にも協力してもらって、トキオはナイス、ジョーカーと共に駅前で道ゆく人々に必死に呼びかけビラを配りまくる。
チャージを無料にしたことと曜子の美貌のおかげで、駅前のプロパガンダは大成功。なんとか30人ほどの客を確保し、一行はデモ隊のようにジグザグ行進でviva nonを目指す。
ちょうど会場入りしようとしてこの様子を何事かと眺めていたキングをも巻き込み、いつしか荻窪商店街はさながらカルチェラタンのごとく、熱狂的な様相を呈し始めていた。
そのままの勢いで、予想以上のライブとなるこの夜の「郷田真也&2010ロックンロールショウ」は、ほとんどが<ただ客>のみだったにもかかわらず、のちのviva non史上、永遠に語り継がれるほどのステージになったのである。
ライブ後もすっかりご機嫌で打ち上げを楽しむキング郷田真也は、トキオとジョーカー相手にいつまでも<ロックとは何ぞや>をブチ上げ続ける。強面で知られている彼をどこかで苦手意識を持って眺めていたトキオも、その妥協なき純粋なミュージシャンスピリットに触れて、いつしか心を許していった。
「おい、『ジョンの魂』かけてくれ!」
ジョン・レノンの、ビートルズ時代には気づかなかった人間性が色濃くあらわれた極めてパーソナルなこのアルバムは、ほぼ同世代のキングにとっては大いなる心の拠り所らしかった。
「ワーキングクラスヒーロー」を一緒に歌いながらジャックダニエルズのストレートをあおり続け、いつのまにかジョーカーの肩に頭をあずけて寝入り始めてしまったキングの横顔は、母の胸に抱かれてつかの間のやすらぎを得たような幸福感に包まれていた。
<この項 つづく>
BACK GROUND MUSIC:ジョンの魂/JOHN LENNON
[登場人物]
幾田トキオ(21歳):viva nonの企画&ブッキング担当
原敬二(21歳):西荻viva nonの店長、冷静沈着
矢野龍(31歳):viva non のオーナー、野心家
郷田真也(36歳):日本のロックンロールキング
久保二郎(26歳):キング郷田のマネージャー
熊田公彦(20歳):viva nonの常連、通称“ジョーカー”、法政大生
ナイス白井(20歳):viva nonの気のいい店員
沼田曜子(19歳):荻窪viva nonのマドンナ

