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桜井鉄太郎「ユメの行方」第1章―第9回
<1975.07.05 クィーンレコード 第1スタジオ~荻窪 viva non>
気の抜けないライブが終わった後のビールはことのほか沁み入る。ナイス白井と馬鹿話をしながらトキオは、長澤ノブロウの到着を今か今かと待ちわびていた。前からの約束で、今夜はクィーンレコードのスタジオに連れていってもらえるのだ。川野武臣率いる『ライスプディング』の本邦初レコーディングに立ち会えるなんてラッキーこのうえない。
午前1時を回ってやっとviva nonに到着した長澤は、首を長くして待っているトキオを気にかける風でもなく、いきなりカウンターにどっかと座ると、焼うどんにビールなんぞを注文し、店長のヨッチと「フィフスアヴェニューバンド」の裏話にうんちくを傾けはじめている。
「まだ行かないんですか? レコーディング、終わっちまいますよ」
たまらずトキオがうながすと、長澤はやっと重たい腰を上げてカウンターから離れるが、なんと今度はトイレに籠ってしまった。
「ほんとにもお!」
いらつくトキオに、やさしく曜子がラムソーダを奢ってくれた。「レコーディングに行くんでしょ? いいなあ、でも我慢してお店でお留守番してるね」
なんて健気で素敵な子なんだろう。抱きしめて滅茶苦茶にしたくなる衝動をどう抑えようかと思案している時、ちょうど長澤がトイレから出てきた。
「トキ、行くぞ!」
長澤はトキオのことをいつもそう呼ぶ。もう慣れたけど最初は昔の女中さんみたいでいやだった。
viva nonを出ていつもの楽器がぎゅう詰めになったシビックに乗り込むと、まるでジェットコースターに乗せられたような気分になってしまうほど長澤は縦横無尽に疾走する。
ポップス界の知られざるうんちく話をいちいち納得しながら聞いているうちに、いつしか甲州街道から新宿を抜け、四谷三丁目を越えてもう溜池交差点近くのクィーンレコードが目と鼻の先に迫ってきている。なんというドライビングテクニックなんだ。
感心する間もなく、狭いパーキングに器用に駐車すると勝手知ったる感じで長澤はすたすたとスタジオのなかに入っていってしまう。
腰巾着のようにトキオはただただ長澤の後についていき関係者に恐縮しながら、宇宙船内と見紛うばかりのコントロールルームの片隅におとなしく座ることにする。やがて次から次へと見慣れたミュージシャンたちが、日常いつもviva nonで見かけるのとは違う表情をしてブースに入っていく。
鈴村史郎がオレンジ色のストラトキャスターを抱いて登場したかと思うと、いつも一緒にバーボンを回し呑みしながらトキオとじゃれあっている同じ年のシンガー山名芳博がお茶目にウィンクしながらマイクテストをしている。コンソールの前にはおなじみの飄々とした感じで、川野武臣が鎮座してエンジニアに指示を出している。これがプロのレコーディングなのか、と感動してるうちにリハーサルが突然始まった。なんという強烈なサウンドなんだ。
今まで聞いたこともないような斬新でファンキーな音波が否応なしに襲ってくる。
息をする余裕もないほどの緊張感に、トキオは身動き一つせず、ただじっと耳を傾けているしかなかった。まるでサムライの果たし合いのようなセッションがエンドレスで続く。マルチトラックのテープレコーダーが忙しく行き来し、2時間ほどでタイプの違うベーシックトラックが4曲ほど収録された。
前人未到の記録を成し遂げたかのように川野は満足の笑みを浮かべ、チーム「ライスプディング」はプレイバックしたサウンドを全員でテキパキとチェックすると、歓喜の雄叫びをあげながらそれぞれのメンバーを讃え合い、完璧なカタチで今日のセッションを締めくくった。
興奮でなかなか席を立てないトキオを促すかのように顎をしゃくると、長澤は関係者にあいさつし駐車場に向かい始める。「もう行かなきゃいけないの?」
後ろ髪をひかれんばかりのトキオに長澤は謎掛けのような言葉を吐いた。
「お前のお姫様がお待ちだろうよ」
そうか曜子が待ってるんだった。時計は真夜中の3時半を指している。 再びもの凄いスピードでシビックは荻窪を目指す。何にもしていないのにもの凄い疲労感に襲われて、トキオは不謹慎にも助手席で寝入ってしまった。ふと気づくともうviva nonのある路地裏に長澤は駐車し終えるところだった。あわてて車から降り入り口に近づいたところで異変に気がついた。
この辺りの路地は光の届かぬ暗がりがある。viva nonのエントランスには小さなスポットライトが微かにドアノブ周辺を照らすばかりで、夜明け前のこの時間帯は人の顔さえ見分けられないくらいだ。目を凝らすと、初めて見る角刈りで三白眼の若い男が鋭い視線をトキオに送ってきた。
更に近づくと、男は曜子の右腕を凶暴な力で制していてドア前にはナイスが鼻と口から半端でない血を滴らせてしゃがみ込んでいる。咄嗟に体が動いたトキオは信じられないような素早さで男の顎の当たりに拳を叩き込んでいた。
一瞬男がかがみ込むと上着の内側に白木の柄が見えた。ベルトにねじ込んだドスだ。素早く体勢を立て直すと、ぎごちない薄笑いをかすかに浮かべて男はトキオの方に身構えた。すぐさま曜子を奪回しその場から遠ざけたものの、トキオの脇の下は脂汗が滴り始めていた。
男は無表情に歩を進めながら両手の掌にゆっくりと唾を吐いてドスに手をかける。喧嘩慣れしていないトキオの勝てる相手ではなさそうだ。万事休すと思われたその時、男の前に立ちはだかった人物がいた。
「お前何やってんねん」
冷静に男からゆっくりドスをもぎ取りねめつけると、その人物は、今しがたまで強烈な殺気を放っていた男を急激に骨抜きにしてしまった。口許に卑屈な笑いを浮かべなが ら「すんません、芳やん」と呟くと男は眼差しを伏せて観念してしまった。
「とっ とと去ね!」
男を追いやると、底抜けの笑顔で山名芳博はトキオの手を握ってきた。 「あんまり慣れんことせんほうがええで、トキ。さあ中入って呑も呑も!」
このところヴォ-カリストとして急激に頭角をあらわしてきた山名は,先ほどのクィーンレコードスタジオのセッションでも強烈な光を放っていた。ややもすると川野一派の音楽はロック魂に欠けるおしゃれ音楽だなどと揶揄する輩もいるが、山名の加入により新グループ「ライスプディング」の存在感は、今後の日本のミュージックシーンの核となるのは間違いないであろうと誰もが絶賛している。
天は二物を与えずとよくいわれるが、山名はファッションモデルの依頼がくるほどのルックスで、最近は俳優のオファーも舞い込んでいるという。おまけに実家は関西の資産家で、金にも不自由してないんだろうが、鼻にかけてるようなところは微塵もなく、豪快で気さくでちょっとおっちょこちょいなところが憎めない。
トキオとは同世代だから音楽の話をしようものなら時間を忘れて杯をかたむけてしまい朝を迎えることもしばしばだ。歌い手としても最近では田城旭春と並んで『ロックの救世主』などと評され、日本の音楽シーンでは超有望株なのだ。
「さっきのあいつ何者だい?」
「お前はそんなこと知らんでもんでいいんや」
それ以上トキオは追求しなかった。
「そんなことよりお前が助けたあのお姉ちゃん、ごっつ可愛いかったな。トキオ、俺に譲らへんか?」
血相を変えてかぶりを振るトキオを見て山名は大笑いする。
「ウソウソ、さっきのお前は本気だったもんな。逃さんときや、あんなベッピンさん」
このところ毎月viva nonでレギュラーライブをやっている山名は、この店はもはや庭のようなもので、気がつくと常連の女子大生グループのテーブルに移動して下ネタギャグなど披露している。
曜子はというと、先ほどあんな騒ぎの渦中にいたとは思えないほどの落ち着きで、いつものように店の片隅で本を読んでいた。
腫れ物を触るようにそばに近づき「大丈夫?」と一言声をかけると、後にも先きにも見たことのない眩しいような表情でトキオをじっと見つめてきた。トキオにとっては永遠に終わって欲しくない時間が流れはじめる。
「ありがとう、さっきは助けてくれて」
「うん.....。」
何の意味もない上の空の相槌をうちながら、トキオはいつまでも彼女のたおやかな横顔を見つめ続けていた。
「あら、もうこんな時間。帰らなきゃ」
突然、曜子は席を立とうとする。時計を見るともう朝の5時になんなんとしていた。曜子はその大きな瞳でじっと正面からトキオを見据えると、びっくりするほどその頬を近づけてきて、聞き取れないほどの小さな声で囁いた。「あなたの一番好きな曲をあたしのために心をこめてかけて。それを聞きながらあたしはおうちに帰るわ」
一瞬の躊躇もなくトキオはDJブースにむかい、おそらく世界中で誰よりも敬愛するミュージシャン『トッドラングレン』の「Cold Morning Light」をターンテーブルにセットし、かけた。
今こそ曜子を狂おしいほどの激しさで抱きしめてやりたい、という気持ちが突然こみあげてくる。何かを彼女に伝えなければいけない。トキオは口を開いては見たが、なんの言葉も見つからないまま、ただ曜子の後ろ姿を見送りながら、胸の中をあたたかい何かが溢れてくるのを感じていた。
<この項 つづく>
BACK GROUND MUSIC:Something/Anything?/TODD RUNDGREN
[登場人物]
幾田トキオ(21歳):viva nonの企画&ブッキング担当
長澤ノブロウ(24歳):sweet moneyのマネージャー、トキオの師匠
川野武臣(29歳):Rice Puddingのリーダー
山名芳博(21歳):新進気鋭のロックシンガー
四角純(22歳):荻窪viva nonの店長
ナイス白井(20歳):荻窪viva nonの気のいい店員
沼田曜子(19歳):荻窪viva nonのマドンナ




