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桜井鉄太郎「ユメの行方」第1章―第10回

<1975.08.25 代官山ホットミュージック編集部―浜田山>
yume20071202.jpg うだるような夏の太陽が、ある種暴力的な熱波を呼びこむなか、トキオは代官山のはずれの坂道を大粒の汗を拭いながら黙々と歩いていた。
 目的地はホットミュージック編集部。アグレッシブな編集方針で他の音楽誌とは一線を画す誌面は、変わりゆく日本のロックシーンを的確に捉えている。

 その編集部の中核に田上孝志という人物がいる。トキオは去年の夏に、初めて田上と対面している。viva nonのスケジュールを各音楽誌に掲載してもらうべく、新米の企画マンであるトキオは1日10社は回るノルマをオーナーの龍さんから課せられていた。
 締め切り間際の戦場のような編集部の現場で、なかなかトキオのプロモーショントークなどに付き合ってくれる担当者はいなかった。途方に暮れて炎天下の中、汗まみれでたどり着いたホットミュージック編集部は、なんだか他の雑誌社にはないクリエイティブでロックな雰囲気がひしひしと感じられる現場だった。
 田上孝志はことのほかやさしく対応してくれ、そのうえ近所の喫茶店に誘ってくれて存分にトキオの青臭いトークに理解を示してくれた。オシャレでインテリで最初どこかとっつきにくい印象だった田上も、自らを熱っぽく語り出すにつけ、少しずつそのパーソナリティにトキオは魅せられていった。
 ライター稼業とは別に近々ミュージシャン活動を本格化させていくこと、自分の呼び名をT―SIGN(ティーサイン)にして、昨今、彼の地ロンドンでにわかに脚光をあびている演奏テクニックや理論を重視するような音楽とは一線を画したシンプルで攻撃的なロックスタイル「パンク」ムーブメントを日本で本格的に始動させること、六本木に拠点のスタジオを設けて、そこに商業主義に毒されてない個性的なバンドたちを組織化し<東京パンカーズ>なる名称で日本のロックシーンに旋風を起こそうとしていること、世界中のパンクロッカーズと連帯してワールドワイドにイベントコンサートの開催を計画していること、などを熱っぽく語ってくれた。
 なんてカッコいいんだろう。そしてなんでこんなに音楽に愛情を注げられるんだろう。トキオは胸の中が熱くなった。それから約1年、久々にT―SIGNこと田上を訪ねるトキオの心は弾んでいた。
 今日の目的は先ごろ創刊したviva nonの機関誌「viva yes」に広告を載せてもらうためのお願いだったのだが、それよりもまたあの熱っぽい田上の語りっぷりに触れて、このところダレ気味な自分に喝を入れてもらいたい。そんな気持ちでホットミュージック編集部のドアを押した。久しぶりに会う田上はすっかり垢抜けたミュージシャンぽいルックスに変貌していたが、気さくな人柄は変わっておらず、例の喫茶店にまた誘ってくれた。
 昨年、田上が予言したパンクムーブメントの胎動は見事に展開し始めていて、中でも「ストラングラーズ」のブレイクと、続いての「セックスピストルズ」の結成、マルコムマクラレンの暗躍など興味深い話題が尽きることなく、田上の淀みない解説はトキオの好奇心を刺してくる。もともと『The Who』や『Small Faces』『KINKS』などBritish Popsが大好きだったトキオにとって、未来の音楽シーンを予見させる田上の英国ロック論は刺激的だった。
 もう一つ楽しかったのは恋多き田上の恋愛話だった。何杯もコーヒーをお代わりしながら、話術巧みに彼自身のコイバナをたくさん話してくれる。まるでそれがそのまま短編小説になってしまうんじゃないかと思われるほど惹き込まれ、いつしか聞き上手の田上によってトキオ自身のエピソードをも語ってしまっていた。
 もちろん曜子とのことだ。あの夏の初めの事件以来2人の距離は一気に縮まってはいたのだが、なかなかそのあとの進展がみられない。デートこそするのだが、結局公園をぶらぶら散歩してviva nonに来てしまう。なにせ安月給の身であるトキオにはこれが精一杯なのだ。
 つい最近やっと手をつないで歩けるようになったという中学生レベルの交際ぶりを聞いて、業を煮やした田上は「やっちまうしかないな。今から彼女に電話してみろ」と焚き付ける。もともと今日はバイトを終えた曜子が荻窪viva nonにきてるはず。作戦を立てる間もなく店の電話を借りてviva nonに電話してみる。ナイス白井の愛嬌ある甲高い声が応える。
 「トキオだけど、曜子って来てる?」
 「来てまんがな、ちょっと待ってや」
 別に関西出身でもなんでもないのにナイスはよく変な大阪弁をしゃべる。
 30秒ほど間があって曜子が電話口に出る。
 「ねえねえ、あなた好き嫌いない? 食べ物の」
 あまりにも唐突に言われたので返答に困ったトキオは「納豆がNG!」と一言答えただけで後が続かなかった。
 「今日バイトのお給料出たから、あなたにごちそう作ってあげる。いつも焼きうどんばっかり食べてるんだもの、見てられないわよ。私のおうちにいらっしゃい。viva nonで待ってるからね」
 畳み込むように曜子は一気に喋るとトキオの返答も聞かずに切ってしまった。とまどいと嬉しさを隠しきれずありのままを報告すると、田上はキャメルに火をつけ「それはやっちゃうしかないな」とニヤッとつぶやいた。
 田上と別れてから、すっかり広告取りに来たのを忘れていたことに気づいたトキオだったが、心はもう上の空。代官山駅に向かってスキップする有様だ。
 おうちにいらっしゃい、ということは……。妄想で頭がはち切れそうになる。
 雲の上を歩くようにviva nonにたどり着くと店の外で扉に軽く寄りかかるようにして雲一つない空を見上げ眩しそうな顔をして待っている曜子がいた。
 トキオを見てとると、ちょっとはにかんだように左手の指先で耳の上の毛をかきあげるような仕草をしながらかすかに微笑んだ。トキオはそんな曜子を眺めながら、「何が嬉しいんだい?」と問いかけてみる。
 彼女はちょっとまいったように瞬きをしながら何も言わずトキオの腕にやさしく手をまわしてきた。そして2人はブラブラと歩き出した。viva nonから曜子の住む浜田山までは歩けない距離ではない。彼女は心なしか頬を紅潮させ「会いたかったわ」と耳をすますようなえらく真剣な表情でトキオの目を正面から捉えて言う。
 なんとなく目をそらすと急にやや取ってつけたような感じでトキオは「あー腹減ったー!」とひょうきんにつぶやき、少し早足になって先に歩き出した。
 浜田山駅近くのスーパーで曜子が買い物している間、トキオは落ち着かないまま、あれこれ考えながらそわそわと過ごした。曜子は自分のことを実は相当に好きで、なんかのきっかけでその気持ちに気づいた彼女は具体的な行動を今日起こそうとしてるんじゃないか、といった楽天的な思いを浮かべながら、カラダを硬くして胸をドキドキさせるトキオであった。
 両手にたくさんの食材を抱えながら飛び切りの笑顔でスーパーから出てきた曜子は、髪を軽く揺すりながらスキップするように前を進んでいった。駅から10分ほど歩いてやっと彼女のアパートに辿り着いた。
 この1カ月前まで学生寮に住んでいたらしい曜子は、いま一人暮らしがやっと板につき始めたようで小綺麗な1DKの部屋は磨かれたようにピカピカだった。
 手持ち無沙汰でソファの隅にちんまり座ったトキオの頭の中は2時間ほど前に田上に言われた「やっちゃうしかないな」という言葉がさっきから頭の中で渦を巻いている。そんなこととはつゆ知らず、曜子は小さなキッチンでなにやら料理の下味作りをスタートさせていた。そもそもトキオにも料理の心得はある。大学2年の初めにバンド仲間7人と借りて住んでいた福生の米軍ハウス時代は、料理長としてトキオが全てを引き受けていたくらいだから。
 1時間もすると自信満々の誇らしげな表情で曜子はダイニングテーブルに料理を並べ始める。夏野菜のリゾットと子牛のステーキ、シーザースサラダにミネストローネスープと贅沢な品揃えの料理群はトキオの予想したよりも見事な出来映えだった。食前の赤ワインを曜子は目の覚めるような呑みっぷりで嬉しそうにたて続けに2杯のんだ。
 トキオはそんな彼女をじっと黙って眺めていた。食事を進めながら驚くほど饒舌に曜子はしゃべり続けた。トキオも負けじと料理についてのうんちくを傾けながら、意識して沈黙の時間の時間を作らないように力を注いだ。映画やら音楽やら文学やら知っている限りの知識を総動員させて、曜子の笑顔を絶やさないように心がける。
 食事が終わっても曜子は赤ワインを呑み続けた。トキオは心の中で次々と目覚めて来る彼女に対する好奇心をなんとか整理し抑制し落ち着かせながら、早いペースで赤ワインをあおる。やがてふと沈黙が訪れた。急に曜子は言葉につまったように口をつぐみ、次の瞬間くるりとトキオに背を向けて立ち上がって寝室の奥に入っていった。「昨日買ったばかりのレコードなのよ。あなたと聴こうと思って」
 女の子の部屋にしてはたいそう立派なオーディオコンポに曜子はディスクをセットした。トキオも大好きなニルソンの「夜のシュミルソン」だ。古き良き時代のスタンダード作品を1950年代のゴードンジェンキンスのアレンジのまま全編ストリングスを配して再現し、ニルソンが惚れ惚れするようなボーカルを披露した珠玉の作品だ。まさか曜子がこんな趣味を持っているなんて想定外だった。
 とろけるようなサウンドが部屋を埋め尽くし、頬をワインのせいで上気させた曜子がゆっくりと立ち上がるとスローモーションビデオのように静かにトキオの方を向いた。真っすぐにトキオの瞳を捉えると曜子は頬と頬がくっつく寸前まで近づいてくる。ある程度予想していたとはいえ、こんな状況になるとはは思いもよらず、あたふたと腕時計を見ながら「やばい終電が終わっちまった」とうろたえるトキオ。
 まったく動じる気配もなく曜子は「泊まっていっても全然いいのよ」などと言って泰然としている。
 「それはまずいよ。女の子の独り住まいなのに」などと心にもないことを呟いて曜子の様子を伺うトキオ。
 BGMのニルソンはますますロマンチックなムードを駆り立てていく。
 「さきにベッドで寝てて。わたしは明日の授業の予習をしながらずっと起きてるから。気にしないでいいのよ」
 viva nonのマドンナはますます予想外の方向に話を持っていく。
 「あいつは絶対、誰がなんて言ったって処女だよな」
 viva nonの常連や店員の曜子に対する評はおおむねこんな調子だ。トキオも同じ見解だった。そんなみんなのマドンナとこうして一つ同じ屋根の下で何かが起ころうとしてる。トキオは言われたとおり素直にベッドに潜り込んで気づかれないように曜子を見るとホントに教科書を開いて予習を始める気配だ。何かを言おうとしたけれど、言うことが見つからなかった。耳を澄ますと、微かに車の走る音や街のざわめきが、遥かかなたの波の音のように聞こえてきた。
 「大丈夫?」
 トキオが声を掛けると「うん」と曜子は短く答えたが、それが別に何の意味もない上の空の相槌だということがトキオにはよくわかった。
 1時間もたったであろうか。浅い眠りに落ちかけていたトキオがうっすら目を開けると、曜子が覗き込んでいた。低いかすれた声でトキオの名を呼ぶと『あたし怖いの」と続ける。トキオは彼女の声をさえぎろうとしたが、声がひっかかってうまくでてこない。息詰るような時が過ぎ、じっと黙ったまま曜子を見つめていると、にわかに彼女を抑えきれないほどの激しさで抱きしめたい衝動が突き上げてきた。
 呼吸もできないくらいにめちゃくちゃにしてしまいたい、何も考えることができなくなるほどの激しさで。曜子はいままで泣いていたかのような瞳で精一杯トキオを見つめ続けていた。トキオもじっと動かずに同じように彼女を見つめ続けた。そして目が眩むような思いで力を込めて細いしなやかな曜子の体を抱き寄せると、彼女はいやいやをするようにして顔をそらし、トキオの体を押し離すようにした。
 微かな不安と焦燥の中で顔を上げてみると、背中を向けるようにしてうつむいてワンピースのウエストをしめたベルトの結び目を静かに解き始める曜子がいた。
 その気配に全身を耳にして聞き入り、激しい興奮にからだじゅうを震わせながら、トキオは感情のほとばしりを必死にこらえようと目をつぶった。
<この項 つづく>

BACK GROUND MUSIC: 夜のシュミルソン/ニルソン

[登場人物]
幾田トキオ(21歳):viva nonの企画&ブッキング担当
田上孝志(30歳):ホットミュージックの編集者にしてミュージシャンT―SIGNとして活躍
ナイス白井(20歳):荻窪viva nonの気のいい店員
沼田曜子(19歳)viva nonのマドンナ

投稿日: 2007年12月02日

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