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桜井鉄太郎「ユメの行方」第1章―第11回
<1975.11.13 下北沢珈琲店「いーはもーど」―下北沢viva non>
下北沢の北口を降りると幅2メートルにも満たない狭い路地が格子柄を成していて、個性的なワイシャツの仕立て屋やパン屋、洋家具店、雑貨屋、古着屋などが軒を連ねている。
駅前の食品市場はまだ戦後の闇市場の名残を残しており、モダンとレトロの不思議な混在ぶりがこの街のパワーに結びついているのではないかと、トキオは常々思っていた。
北口一番街の中央に位置する珈琲店「いーはもーど」はこのところviva non下北沢のオープニングセレモニー準備に追われるトキオの個人オフィスの様相を呈していた。
入り浸り状態の彼に対して嫌な顔一つ見せず店のオーナー今川さんと奥さんのまみこさんは家族に接するように優しくしてくれていた。今日は夕方から下北沢 viva nonに音響設備がセットアップされる予定で、そのテストランに店員の大沢久夫のバンド「ビージーイージースー」がライブをやることになっている。
そしてトキオはたった今、各方面に電話をかけまくり、念すべき下北沢 viva nonのオープニングセレモニーのブッキングをようやく終わらせたばかりで、ほっと一息つきながらカフェオレをすすっていた。
12月3日から6日連続で行われるセレモニーには、今の日本のロックシーンを代表するミュージシャンたちをキラ星のごとく集められたのではないかとトキオはひそかに自負しつつ、一方プライベートの部分では贅沢な悩みを抱えていた。
実は本日はトキオの22歳の誕生日。予定では下北沢viva nonでのテストライブを終えた後、荻窪viva nonに移動し、店のスタッフや常連さん、ミュージシャンたちにバースデーを祝ってもらうことになっている。
そこには最近のトキオの広い交遊の証で、たくさんの友人たちが集結する。当然、この夏の終わりにあまりにもドラマチックに結ばれ、晴れてトキオとステディな関係になった曜子がこの日のメインゲストなのは動かないところではあるのだが…。
実はいい気になったトキオはこのところviva nonの新たな麗しき常連たちに次々とちょっかいを仕掛けていき、実家に帰省していた曜子の目がないのをいいことに、加奈子、瑠未、美緒、茜と続けて4人もの女子大生をちゃっかりゲットして深い仲になっていたのだった。
トキオに言わせれば、食事に誘われ彼女たちのアパートに出掛けて行き、たらふく御馳走になったあげく終電がなくなりやむなく泊まるはめになり、そして…といった顛末で、不可抗力だったと釈明したりはしているものの、とにもかくにも本命の曜子を含めて5人もの女の子を短期間で手に入れてしまったトキオに対しては荻窪viva nonのスタッフたちの風当たりはことのほか強い。
トキオは別に曜子とはちゃらんぽらんな気持ちで付き合っていたわけでもないのだが、なにせまだ22歳になったばかりの若輩者のこととて、心と体のバランスが曖昧なのはしょうがないことか。
「ええいままよ」と古くさい納得の仕方で、今夜女子全員が鉢合わせして修羅場になるかもしれない光景を頭の隅に追いやり、「いーはもーど」をあとにしてトキオは新たなホームグラウンドになる下北沢viva nonに向かった。
もう9割がた工事は進み下北沢viva nonは着々とその全貌を現しつつあった。店のスタッフ固めもうまくいき、強力で個性的なメンバーが勢揃いした。冷静沈着な店長、原敬二、無骨で人情家のマネージャー、武藤清、荻窪viva nonの名物男だったジョーカーこと熊田公彦、そしていつも裸にオーバーオールが売り物のちゃー坊こと大沢久夫。
全員がポップスやロックのエキスパートといっていいくらいの強者だ。トキオと特にウマがあったのは青山大のロックサークルのリーダー格を務めるちゃー坊こと大沢久夫だ。最近よくつるんで飲み歩いたりしながら、トキオとは親交を深めているそのちゃー坊のたっての頼みで、彼がリードギターを務めるバンド「ビージーイージースー」を下北viva nonの名誉ある音響チェックライブアクトにトキオが抜擢したのである。
元来変わり者のちゃー坊のバンドメンバーたちも負けず劣らず風変わりなキャラクターが多い。この2、3日前にメンバー全員をちゃー坊から紹介されたのであるが、リードボーカルの麦田公助にトキオは特に興味を覚えた。普段は浪速節語りのようなガラガラ声で喋り、それもシャイで控えめな性格からか何を言わんとしてるんだか、とらえどころがない感じなのだが、リハーサルでいったんステージに立つと往年のレイ・チャールズ顔負けのソウルフルでパワフルなシンガーとして、もの凄いポテンシャルを示すのだった。
バンドの演奏はお世辞にもうまいとは言えなかったが、麦田のボーカルキャラクターと彼の作る楽曲の魅力でもって、一度聞いただけで人々を虜にするすべをこのグループは潜在的に持っていた。
viva nonのスタッフたちは満場一致で「ビージーイージースー」を店をあげて応援することに決め「こいつらを絶対日本の代表的なロックバンドに育て上げようぜ!」と高らかに店長の原は宣言したのであった。
異を唱える奴は当然のことながらいなかった。オープンを直前に控えずっと店に詰めながら準備をしていくにつれ、「ビージー」をはじめとするミュージシャンたちと店のスタッフたちとのある意味共同幻想を共有するような連帯感はドンドン育まれていき、いままでのviva non 以上の理想のライブ空間を構築できるという確信が、トキオの胸を熱くするのであった。
昨日までPAが入ってない状態でサウンドチェックをしてくれていた「ビージー」の連中も今日からはいよいよ最新の音響設備のもとライブ演奏ができるわけだ。スピーカーがセットされ、配線が完了し、トキオは迷わずターンテーブルに『フィルモアの奇蹟』をのせて大音量でかけてみた。
伝説のサンフランシスコの「フィルモア・オーディトリアム」でのアル・クーパーとマイクブルームフィールドの奇跡的なスーパーセッションライブアルバムである。かけた途端、DJブースに麦田公助がすっ飛んできた。
「さすがですね、トキオくん。俺もこれ大好きなんですよ。サンタナっていう新人ギタリストがイカしてますよね?」などと言いながら、これ以上ないくらいの笑顔で麦田は握手してきた。
「なんとかこの新しいviva nonをフィルモアみたいな伝説の残る小屋にしたくってさ」
トキオはぽつんと呟き、なにげなくステージの方に目をやると、ちゃー坊が自慢のストラトキャスターを抱えて、マイクブルームフィールドに対抗するかのように恍惚の表情でギターをかき鳴らしていた。
ほどなくしてバンド全体のサウンドチェックは無事に終了し、いよいよ本番ライブへ突入。関係者の熱っぽい期待を一身に受けつつ、いきなりクラプトンの「アイ・シャット・ザ・シェリフ」でぐんぐん飛ばしていく。
麦田のボーカルも絶好調だ。シャングリラレコードの荒垣が上気した顔で腕組みをしながら熱心に演奏に聞き入っている。「これはひょっとするとひょっとするぞ」とトキオに話しかけてきた荒垣の表情は完全に本気モードだ。
途中コミカルなオリジナル曲「たわわなマンゴー娘」も交えつつ最後はデレク&ドミノズの「ベルボトムブルース」で渋く締めた。20人ほどの関係者たちは、あくまで店のPAチェックであるということは忘れてしまい、熱烈なるスタンディングオベーションでメンバーたちを讃えた。
セッション後の格別にうまいビールを「ビージーイージースー」と楽しんだ後、ひとりトキオは中抜けして荻窪viva nonに向かった。
22時を回ったころ、やっと到着し店に入ると、トキオの昼間感じてた嫌な予感は見事に的中したことがわかった。当たり前のように同じ目的でもって集まってきた4人の女の子たちは、すでに空気を読んでいて「トキオ多重交際」を察知し、すでにあらたな共闘関係を取り交わしていたのだった。
トキオはあわてふためき取り繕ってはみたものの、はかったように手編みのマフラーのプレゼントを携えたレディたちは顔色を変え、「あんた、いったいなんなのよ。馬鹿にするんじゃないわよ」などと口々に叫びながらトキオに対して詰め寄ってくる。そんな修羅場の真っ最中に、本命の曜子がやはり手の込んだ手編みマフラーを持って現れたからたまらない。
トキオはすがるように目で助けを求めるも、なんとなくすばやくその場の空気をよんだ曜子は、当然の成り行きで隊列に加わり更に混乱に拍車がかかった。総スカンのトキオは全員に首根っこにマフラーを巻かれ、「せーの!」の合図とともにシバき上げられるはめに。
総勢5人のギャルは何故かその場で結束し意気投合?してトキオを置き去りにしてなんと呑みに出掛けてしまった。間抜けな雪だるま状態で呆然としりもちをついたまま、22歳のバースデーナイトを一人酒で迎えるはめになってしまったトキオは、自業自得の己に苦々しく向き合わざるを得なかった。
1時を過ぎ、ナイス白井を相手にやけ酒をあおっていたトキオも昼間からの疲れからかカウンターに突っ伏してうたたね寝し始めていた。そこにいつのまにか1人で店に戻ってきていた曜子がそっと近づき、「沈んでいく夕日を見つめるようなまなざし」でもってトキオを見つめていた。そこにはさきほどの怒りはつゆほどもない。
後ろからそっとトキオの背中を包み込むようにすると、これ以上ないほどのやさしい声色で「一緒に帰ろう?」と曜子は耳元でささやいた。
トキオの体中に重苦しく沈み込んでいた澱みはその言葉できれいにぬぐいさられた。眠りから覚めたばかりのおぼろげな表情でトキオはなにか言いかけ、そしてその言葉をのみこんだ。
<この項つづく>
BACK GROUND MUSIC: フィルモアの奇蹟/マイク・ブルームフィールド&アル・クーパー
[登場人物]
幾田トキオ(22歳):viva nonの企画&ブッキング担当
今川英男(29歳):珈琲店「いーはどーも」のオーナー
今川まみこ(25歳):今川の妻
原敬二(22歳):下北沢viva nonの店長
武藤清(20歳):下北沢viva nonのマネージャー
熊田公彦(21歳):下北沢viva nonの店員、通称ジョーカー
大沢久夫(20歳):下北沢viva nonの店員、「ビージーイージースー」のギタリスト、通称ちゃー坊
麦田公助(20歳):「ビージーイージースー」のボーカリスト
荒垣渡(28歳):シャングリラレコードのディレクター
沼田曜子(20歳):viva nonのマドンナ、トキオの恋人
山本加奈子(19歳):トキオのガールフレンド
森下瑠未(18歳):トキオのガールフレンド
本多美緒(20歳):トキオのガールフレンド
渡辺茜(19歳):トキオのガールフレンド
ナイス白井(20歳):荻窪viva nonの店員

