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誕生60年、夢とロマンが「タイムス“ト”リップ」
暮れゆく2007年。実は今年は、1947年1月に“額縁ショー”と呼ばれたストリップが誕生して60年という記念すべき年であった。しかし、実際には各地のストリップ劇場は激減し、沈滞久しい。その業界にいま、再び注目を集める動きが出ているという。
横浜市中区末吉町にある「黄金(こがね)劇場」。12月初旬の土曜日の夕方、昭和40年代から時計が止まったような風景の客席はガランとしていた。もっとも、満席でも定員は34人だが…。
入場口で、もぎりも兼ねる社長の島根和子さん(55)も手持ちぶさたの表情だ。
―入りはどうですか?
「悪いです。借金まみれです…」
劇場の前を流れる大岡川の周囲には、以前は街娼が立ち、近くのソープ街がにぎわっていた時代もあったという。
「いろいろと“浄化”されちゃってね。その影響で客足が遠のいたこともあるわね」
言葉は重いが、島根さんはあっけらかんとした表情で話す。自身も4年前まで「ヘンリー麻耶」の名前でステージに立っていた元踊り子だ。
「ここはもう50年近く営業しているんだけど、私が経営を引き受けたときからこんな感じよ」
5人の踊り子が日に4ステージをこなすが、「満員?あり得ないね」という。
それでも、熱心な客は、いまも足を運ぶ。
「電気工事屋さんや大工さん…。お客さんが劇場の修繕なんかもやってくれるし、私がちょっと窓口を空けるときは女の子たちが替わって座ってくれる。みんなで協力してやってますよ。劇場の大家さんも応援してくれているからね」
そんな、火が消えそうな世界に注目して、映画化した人がいる。
「ザ・ストリップ」を監督した雨月さん(58)=写真左下。本名の渡辺孝明として、三里塚闘争から中東戦争、ソ連崩壊まで硬派な現場を渡り歩き、主にドキュメンタリーを撮り続けてきた人だ。
今回のテーマは「超大衆路線」と言い、ストリップを題材にしたのは初めてだ。
映画では、ストリップの歴史的な側面や踊り子たちが日常で見せる素顔にも迫るが、雨月さんは、「ドキュメンタリー的なものよりも、彼女たちが立つ舞台の姿を描きたかった」という。実録というよりはフィクションに近い作品を目指した。
「踊り子さんたちが一番見せたいのは、舞台の上のきれいな姿。そこから、ギリギリの裸で勝負する彼女たちの人生も見えてくる」
映画では、5人のストリッパーを追いかけたが、苦労もあった。
「やはり、みなさん個性的な人たちでした。朝の撮影の約束が夜になったりすることもしょっちゅうでしたね。過去の映像資料も出したかったのですが、何十年も前のものでも、本人ではなく関係者から『裸は見せたくない』と拒絶され、調整が大変でした」
裸体のアイドルから、体を張った花電車、そして日本最高齢(?)の踊り子さんにまで密着した映画は、ストリップ60年の歴史を振り返る意味からも貴重なフィルムだ。
本紙で「イチ押しストリップギャル」を連載するフリーライターの青木優さんは、「“当局”の締め付けもあり、今のストリップにはナマ板ショーも消え、アソコを見せない踊り子もいます。劇場は一昔前と比べて半減。踊り子も全国で100人くらいでしょうか。しかし、最近はAVから転向してきた子たちが頑張っています」と現況を説明する。
「客層は高齢者が多いのは事実ですが、一方で踊り子たちがブログなどで情報発信して、デジタル世代の若い客も増えています。都内の人気劇場ではTバック姿で何人もの踊り子がレビューで登場して華やかですよ。しかも、ツブぞろいです。AVから転身した子が初舞台を踏むときには多くのファンが詰めかけます」
猥雑さとそこにあるエネルギーが、ストリップとストリップ劇場の魅力だったが…。
「もはや『ストリップが好き』とは言いにくい時代かもしれませんが、劇場で踊り子に声をかけられるライブの魅力は消えません。これからもストリップは“夢とロマン”を秘めたものであり続けると思います」
お暇があれば一度いかがですか、ご同輩?
■起源は額縁ショー
日本のストリップは、東京・新宿の 角筈(つのはず)=現在の新宿3丁目=にあった帝都座で1947年1月15日に行われた額縁ショー=写真左上=が起源。「名画アルバム」と銘打ち、額縁の中の裸体画を生身の女性が見せるという趣向。動くことは許されなかった。
その後、舞台上で入浴する行水ショー=同右=などに変化し、踊りながら裸も見せる現在に近いスタイル=同左下=になっていった。

(2007.12.19紙面掲載)
