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桜井鉄太郎「ユメの行方」第1章―第23回

<1972. 03.15 回想7―高田馬場『ルイーズ』>
yume20080309.jpg ルミからの突然の真夜中の呼び出しはこの数カ月、日常茶飯事になっていた。何の予告もなく2時とか3時にかかってくる電話は、付き合い始めのころはトキオにとって心ときめくものがあったのだが、このところやや食傷気味だった。
 なんといっても、まだ高校生の身分ではそうそう親の目を盗んで夜中に抜け出しルミの破天荒ともいえる行動に足並みそろえるにはまだ根性が備わっていないというか、男としての器量が足りていなかった。

 ましてや実家に住んでいる身分なので、深夜の電話を何の事情も知らない母親が取り次ぐことが多く、毎度へたな言い訳で取り繕って家を抜け出すのも限界に達していた。
 その日も明け方に近い時間にルミから電話があり、例によってトキオの事情などおかまいなしに待ち合わせ場所と時間を指定した後、なにやら深刻そうに溜め息をつくとさっさとルミは電話を切ってしまった。
 トキオは観念して身支度をする。18歳になったばかりの彼にとって、深夜のタクシー代も馬鹿にならない。指定された高田馬場のスナック『ルイーズ』に着いたのはもう5時を回っていた。
 店はもうマスターのパンチョさんが後片づけをしているところで、ルミはといえばカウンターの隅で突っ伏して寝ているようだ。店の中には冷気が漂っている。3月になったとはいえ、明け方のこの時間はまだまだ肌寒い。
 トキオは眠っているルミの背に着ていた革のジャンパーをそっとかけた。するとびくっとしてジャンパーをはねのけ、これ以上ないというほど大きく瞳を見開いて救いでも求めるようにトキオにしがみついてきた。「来てくれたのね。ごめんね…」
 いつものルミとは違って頼りなさげな微かな震えで体をこわばらせている。「あなたにお願いがあるの、いやって言わないと約束してくれる?」
 強い力でトキオの手を握りながら懇願してくるルミの勢いに、ついうっかり咄嗟にうなずいてしまったのだが、あとに続くルミの言葉を聞いて、うずくような熱い血がトキオの体の中をいっぱいに騒ぎはじめ、そしてやがて耳が燃えるようにほてってくるのがわかった。
 「あたし妊娠しちゃったみたい。産むわ。いいでしょ?」
 トキオは思わず体を固くして胸をドキドキさせ、でも心の奥の方では臆病者が鋭く耳をすましてでもいるように、ある疑いを抱きながら,呆然とただ突っ立ったまんまでいた。
 トキオは魂が抜けたような気持ちのまま次々にルミの口から発せられる驚くべき提案を、酔っ払いでもしたような不安定な感覚を噛み締めながら聞いていた。
 「あなた、大学に行くのはあきらめて。友達が岐阜の山の中でコミューンをやっているからそこに行って2人で暮らすのよ。自給自足でね。あたしはその場所で赤ちゃんを産むわ。今の腐った生活なんか捨て去ってもう1回人生をリセットするの」
 そんなことを言われても自分はまだ18なんだから、と思いはしたが、魔法にかけられたように彼女の言葉に翻弄されながらも何一つ反論できず、この『駆け落ち』計画に従わざるをえなくなってしまった。ちょっとあきらめたような平静さを抱いて、まるで従順な兵士のように<3月16日朝6時、東中野駅集合>というプランを与えられ、トキオは雲の上を歩いているような心持ちで家路についた。
 ルミの一人合点で、つかまえにくい言葉と素早い行動の意味を遅ればせに追いかけ、そして自分の中に次々と目覚めてくる好奇心と疑問をなんとか解決し整理しようとオタオタしつつも努力した。
 「自分が父親になる!」。テレビドラマでもあり得ないこのシチュエーションを理解できぬまま、自室にこもると、ニールヤングの「A Man Needs A Maid」をターンテーブルに迷わずのせた。『駆け落ち』用の荷作りをしながら、こぼれ落ちる涙を拭いもせず、ただひたすらルミとまだ見ぬ我が子のことを思った。
<この項 つづく>

BACK GROUND MUSIC: HARVEST / NEIL YOUNG

[登場人物]
幾田トキオ(18歳)高校3年生、バンド少年
中田ルミ(22歳)ジュンの姉、シンガーの卵

投稿日: 2008年03月09日

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