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桜井鉄太郎「ユメの行方」第1章―第24回
<1972.03.16 回想8―東中野>
ルミとの朝6時の待ち合わせには少しばかり早かったが、両親に置き手紙をしたため、さすがに駆け落ちとは書けなかったものの、しばらく友人と旅行してくるという名目で、4時すぎにトキオは自宅を後にした。
まだ、ほとんどこんな劇的な事件を自分が起こそうとしている実感はなく、ひどく緊張して神経をピリピリさせながら淡い朝焼け雲の気配の中を駅に向かった。電車の中でトキオはこれからの自分の生活をあれこれ予想してみた。たしかに、ルミのことは大好きだし一緒にずっと居られるのはいいのだが、煩悩の固まりのような自分がいかに愛する人と一緒だとはいえ、山奥のコミューンでヒッピーもどきの自給自足生活になんて耐えていけるのだろうか? 第一、音楽は続けていけるのか? 生活費はどうするのか? など、どんどん現実的な不安が押し寄せてくる。ましてやパパになるなんて…。
いろいろ考えると、なぜか自分が凄く無力で空っぽな気がしてきて、なんだか逃げ出したくなってくるのだった。
5時過ぎには東中野の駅に着いてしまい、時間つぶしに近くの公園で運命の時を待った。すっかりペンキのはげ落ちたベンチに座り、公園の奥に咲いた、柔らかく若々しく美しいハナモクレンにしばしトキオは見とれた。
そして、なぜともなく深く息を吸うと、やさしく爽やかなモクレンの香りがトキオを包み込んだ。春が本当に来たんだと実感しながらゆっくり立ち上がり、心をまっさらにしてトキオは駅のほうへ早足で歩をすすめた。
6時を過ぎてもルミは来る気配はない。どうせ支度に時間がかかっているんだろうとタカをくくっていたが、7時になってもまったくその姿を見せない。なにかしらのアクシデントが起こったのかと家に行ってみようかとも思ったが、すれ違いが怖くて身動きできないまま8時を越えてしまった。
緊張と動揺の繰り返しのあと改札口でルミを見つけた時は、急にそれまでトキオを支えていたタガが一気に外れてその場にしゃがみこみそうになった。悪びれた様子も見せず笑顔で近づいてくるルミ。
「やあ。ごめん待ってたよね?」
そう言ったかと思うと後ろを向いて手で誰かに合図している。なんとタクヤだった。
「よう!ギター小僧、練習してるか?」
満面の笑顔でもってトキオの肩を抱いてくるタクヤ。なんだか意味が分からずルミに目で問うと、
「元さやに戻っちゃった。いろいろ振り回しちゃって悪かったね」
あっけらかんと、そう言う。トキオはショックで膝をがくがくさせながら、タクヤには聞こえないようにしてルミに小さな声で問いただす。
「駆け落ちは無し? 赤ちゃんのことは?」
「それがねえ妊娠は勘違いだったのよ、それで、いろいろ冷静に考えてタクヤともう1回やり直すことにしたの。さっきそう決めたばかりなんだ」
トキオはそれまで抱え込んでいた様々な思いが音をたてて崩れ去っていくのを感じていた。一体この俺は何をやってるんだ? 一体何を考え、何のために頑張り、何と戦っていたんだと半ば泣きそうになって唇を歪めながらなんとかこの絶望に耐えた。
なんの事情もわかってないタクヤが「3人で朝飯でも食おうぜ!」などと無邪気に誘ってくるのをやんわり断り、トキオはポッカリと空洞になった胸のあたりを押さえながら2人に別れを告げる。
かくして馬鹿馬鹿しくてお話しにならないようなドタバタの「駆け落ち未遂事件」は終焉を迎えた。帰り道、トキオの頭の中はボブ・ディランの『Like A Rolling Stone』が何度も何度もリピートしていた。あわてて自宅に戻り、両親への間抜けな置き手紙を処分した後、何もなかったかのように家族で食事をし、いつも通りふるまって自室へ戻ると、トキオはなんだか悲しいというよりは、心のどこかでホッとしている自分を見つけていた。
<この項 つづく>
BACK GROUND MUSIC: 追憶のハイウェイ61/ BOB DYLAN
[登場人物]
幾田トキオ(18歳):高校3年生、バンド少年
中田ルミ(22歳):ジュンの姉、シンガーの卵
武川タクヤ(24歳):ブルースエトセトラのギタリスト


