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桜井鉄太郎「ユメの行方」第2章―第25回
<1976.10.01 新宿viva non オープン当日>
ついに完成した新宿viva nonのオープニングライブはとてつもない規模で催されることになった。
この1カ月の間というもの、トキオはそれこそ不眠不休でミュージシャンブッキングにその情熱を傾けた。もちろんトキオだけではなくオーナーの龍さん、秋さんこと秋山圭一の多大なサポートがあったからこそ、この超弩級のラインアップが実現したのだが。
まさに70年代の日本のフォークロックが凝縮された夢の祭りと呼ぶにふさわしい破格のスケールだ。今までの荻窪、下北沢のviva nonがキャパシティ100人強だったのに比べ新宿は最大300人は収容できる、日本のライブハウスの中でも最大規模の小屋になった。
龍さんが家屋敷を抵当に入れて「命かけてやるぞ!」と決意して作ったハコだからこそトキオもフラフラになりながらも最上級のライブスケジュールを組むことに尽力した。潜水艦をイメージしたPA席の左右が客席というこのユニークな空間を、日本の最上級のロックで埋め尽くそうと龍さんを先頭にviva nonファミリーは総力を結集したのだった。
前年に下北沢viva nonを出店してかなりの成果を出し始めていたにも関わらず「新宿に攻め込むぞ!」の龍さんの一言で1年足らずでこの大型ロック居酒屋をviva nonファミリーは作り上げてしまった。もちろん少なくない批判の声もあった。「商業主義的金儲け主義的なライブハウスのチェーン店化だ!」とか「ロックに寄生した拝金経営だ!」とか。でも龍さんは一つ一つに論理的に反論していった。
「俺はロックにたかって食ってるわけじゃねえ。呑み屋として儲けてロックに投資しているだけだ」
たしかにライブのチャージはほとんどをミュージシャンに還元していたし、西荻、荻窪、下北の売上は全部、新宿店を開店するために費やしていた。とにかくこの店を成功させた暁には『viva nonレーベル』設立の計画が待っている。半年前に龍さんが約束してくれたこのプランを「生き甲斐」にトキオはこの6カ月余りをviva nonに捧げた。そしてついにそのオープン当日を迎え、開店前のサウンドチェックが始まる。
トキオは真新しいオーディオシステムをフルボリュームにして迷わず「RollingStones」の『Gimmie Shelter』をかけた。客入れ前のガランとした空間をキースの鋭利なギターが切り裂く。心臓の鼓動で胸が張り裂けそうだ。
振り返るとトキオの肩に手をかけ自信満面な龍さんがいた。
ところが、ある意味日本の音楽シーンを変える第一歩となるであろうこの日、viva nonファミリーにとって予測不可能で衝撃的な事件が起こってしまうのだった。
<この項 つづく>
BACK GROUND MUSIC :Let It Bleed / Rolling Stones
[登場人物]
幾田トキオ(23歳)viva nonの企画担当
矢野龍(32歳)viva nonのオーナー


