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『こころげそう』『アコギなのかリッパなのか』
たまたま手元にある時代小説とミステリーを読んだら、作者が同じだったので一緒に紹介する。
表題の「こころげそう」は、「心化粧―口には言わないが、内心恋いこがれること」(江戸語辞典より)とある。副題が「男女九人お江戸の恋ものがたり」で6編を収めた連作。
しかし、主人公というか狂言回しは、岡っ引きの手先である宇多という下っ引き。私の好きな捕物小説にもなっているのだろう、と思って期待したが、やはり話は、看板どおり宇多の幼なじみたちの恋が中心である。
恋のもつれを解くのが宇多の役柄だが、その宇多に気がある親分の娘、お絹が常々言うように彼は男女の道にうとい。
そこでお絹とともに助っ人になるのが、かつて宇多が恋した於ふじの幽霊。軽く読ませるが、この幽霊が一向に幽霊らしくなく、難しく言うと幽霊である必然性が感じられない。幽霊は幽霊らしくないと困るのである。
「アコギなのか リッパなのか」の主人公は大物政治家、大堂の事務所に勤める佐倉聖。まだ21歳だが、下っ引きの宇多にくらべ、はるかにしっかりしており、あちこちの選挙事務所などに派遣されて難問、奇問の解決に当たる。やはり連作スタイルで「案件の一」「案件の二」と5編。
すらすらと軽やかに読ませる文章は赤川次郎を思わせるが、こういうひねった設定はやはり現代的。痛快なのは元暴走族で腕力もある聖が、子犬をいじめる高校生2人を伸した場面。
「聖は、抵抗できない小さな動物を虐める奴が嫌いだ。そういう者に限って、悪行を見つかると、己の可哀相な幼児体験や生活環境のことを、ごちゃごちゃと言い立てるからだ」。こういう箇所を読むと、ほかも全部、よく見えてくる。

