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「今日は何の日」1997年4月22日「ペルー日本人大使館人質 126日ぶり解放」
ペルー・リマの日本大使公邸人質事件は、1997(平成9)年4月22日午後3時23分(現地時間)、ペルー特殊部隊約140人が突入。激しい銃撃戦の末、わずか40分で制圧した。
トゥパク・アマル革命運動(MRTA)の犯人グループ14人は全員射殺、人質1人と突入部隊2人が死亡。日本人の人質24人は全員無事で、126日ぶりに家族のもとに帰った。
夕刊フジは4月23日発行で10ページをこのニュースにあて、翌日以降も、“白昼の急襲”を詳報・分析した。アンデス古代遺跡の名前からつけられた「チャビン・デ・ワンタル」作戦はフジモリ大統領が自ら陣頭指揮した。公邸へ3カ所からトンネルを掘り進め、あらゆる機会をとらえて盗聴器をセット。暗号も駆使して犯人の居場所を特定し、最後はプラスチック爆弾を仕掛ける「床下爆殺スパイ大作戦」だった。
「人質に危害が及ばない限り強行突入しない」「突入の場合は事前に連絡」の約束を取り付けていた日本側は“蚊帳の外”に大きな衝撃を受けたが、フジモリ大統領の決断力に喝采がわき、支持率は37%から67%に急上昇した。逆に当時の橋本首相は外務省の対策本部にあんパンを差し入れただけの「あんパン総理」と揶揄された。

