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桜井鉄太郎「ユメの行方」第2章―第29回
<1976.10.10 新宿viva non レーベル計画そしてトマト乱入>
「じつはさあレーベル作りに入ろうと思ってるんだ」
秋さんの甘い囁きにトキオは一も二もなく乗っかった。
「もう龍さんには言っておいたんだけどさあ、viva nonも、もう4店舗になったわけだけだから立派な媒体だし、ここを背景にして、ゴロゴロいる才能あるアーティスト予備軍たちをどんどん発掘して、既成のレコード会社じゃできないようなキャラクターの立ったレーベルらしいレーベル、たとえば『アサイラム』や『ベアーズビル』のようなレーベルシステムを構築しようと思うんだ。もちろん、中核になるのはトキオ、君だぜ」
体を長椅子に沈め、はおったジャンパーの前を内側からかき合わせるようにしてトキオは秋さんの話を噛み締めながら、やっと自分の思い描いていた音楽活動の領域、レコード制作に入っていけそうな予感を感じていた。
ただ少しばかり心配なのは頼みの綱の秋さんのスケジュールだ。田城、大間のソロ活動のプロデュースをする目的で設立したオフィス『フェイスフル』を青山にオープンしたばかりの秋さんは連日もの凄いペースで打ち合わせやらプロモーションに奔走しており、とても「viva non レーべル」に時間を割いてくれるような隙間はなさそうだった。
熱意だけで突っ走っているようなトキオでは、とにかく圧倒的にレコードビジネスというフィールドにおいてキャリア不足なのが明らかだった。誰の目から見ても秋さんの助言なくしてこの大きな案件は実りようがないように思えた。
「トキオ、とにかくなるべく時間作るから、僕の青山のオフィスにできる限り通うようにしてくれないか? もう龍さんの許可は取ってあるから。まずは企画書作り、それからオーディションだな。よし、明日から早速詰めていこう! 僕のオフィスに13時集合にして。じゃあね」
秋さんはそう言うと颯爽と帰っていった。
viva nonオープンセレモニーという大仕事を終えたばかりなのに、トキオにはもうこんな今後の人生を変えるような大仕事のチャンスが訪れてきた。期待と興奮とちょっとばかりの不安で武者震いしつつ、カウンター席に移動して、店長の原とお疲れさんのお酒を飲むことにした。同じ年なのにいつも冷静沈着で大人な原にはトキオは全幅の信頼をおいていた。
「お前はいいよな。さっきだってあの秋さんと対等に話せて、おまけにレーベル作りなんて興味津々の話題で盛り上がってるし。俺なんか、この店がなんとかオープンしてやっと一山越えたってのに、さっきまで龍さんから店の売り上げが予想より全然下回ってるって絞られまくってたんだぜ。まったく、もう」とさんざん嘆いている。
「まあそう言うなよ、明日からviva nonレーベル設立に向けてスタートだ。当然、原も中心人物として動いてもらわなきゃな。とにかく景気づけに今夜はとことん飲もうぜ!」
早仕舞いした店にはトキオと原だけしかもういなかった。
兵どもが夢の後でふたりは熱く語りあいながら杯を重ねた。さっきから2人の大好きなジョニミッチェルの『BLUE』がエンドレスでかかっている。と、そこへかなり酔っぱらったジャズピアニストの山中浩輔がこれまたベロベロのボードビリアン『トマト』を伴って店に入ってきた。
viva non創設期の立役者の山中をむげにはできないし、それに最近、テレビで活躍し始めたトマトの怪しげな密室芸を間近で見たくもあった。
原は2人をドンドンあおって、viva nonではめったに出さない赤ワインなどを抜きまくってる。山中はあちこちに電話をかけて人を呼んでいるみたいだ。1時間もすると、かなり正体不明の輩が20人近く集まってきた。
ステージに駆け上った山中はピアノの前に坐るとマイクも使わず、にわかの観客たちにアピールし始めた。そしていまでも語り草になっている天才トマトの驚くべきパフォーマンスが幕を開けるのであった。
<この項 つづく>
[登場人物]
幾田トキオ(23歳):viva nonの企画担当
秋山圭一(30歳):敏腕音楽プロデューサー
原敬二(23歳):新宿viva nonの店長
山中浩輔(33歳):アバンギャルドな天才ピアニスト
トマト(31歳):密室芸人
BACK GROUND MUSIC : BLUE / JONI MITCHELL
【この連載について】
1974年、まだJ―POPなどと呼ばれていないころの日本の音楽シーン黎明期。主人公・幾田トキオは音楽業界人としての第一歩を歩み始めた。以来30数年、さまざまな場所・局面で出会った個性あふれるミュージシャンや業界人らとの交流を小説仕立てで綴る“ドキュメントフィクション”。執筆者は音楽ユニット「Cosa Nostra(コーザ・ノストラ)」などを手がけるミュージシャン・音楽プロデューサーの桜井鉄太郎氏。同氏のブログは桜井鉄太郎.jp



