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桜井鉄太郎「ユメの行方」第2章―第32回

<1977.04.30 赤坂プリンスホテル ティールーム>
yume20080511.jpg viva nonレーベルは4月25日にめでたく第1回のリリースを果たし、トキオもレコード店からレコード店へとサブを伴い挨拶回りに奔走するが、どうも行くところ行くところ反応が薄い。レコードもさっぱり売れている気配はないようだった。
 viva non各店でも常連さんを含めライブを見に来たお客さんに、半ば押し売りのようにある時は泣き売のように押しつけなければ、とてもさばけない始末。大方の客の声は「どうしてもっとviva nonぽいものにしなかったの?」だった。

 はっきり言って龍さんの嗅覚が外れたってわけだ。シャングリラレコードの反応も散々だった。とくに川中はそら見たことか、って顔をしている。一世一代の覚悟で念願のレコード制作というものに取り組んだのに、こんなにリアクションがさめたものだとトキオも熱くなれない。
 viva non各店のスタッフ達のトキオに対する視線も、気のせいかなんだか険しくなってきてるような気がしてならない。
 思いあまって秋山のオフィスを訪ね、モヤモヤした胸の内を秋さんに相談すると意外な答えが返ってきた。
 「トキオ、心配することないさ、大丈夫だって。かえって俺たちには好都合じゃないか。これでサブが龍さんの思惑通り売れちまってたら、我々チームの口が挟めない、龍さん主導型のレーベルになっちまうところだったんだぞ」
 なんてポジティブな人なんだ、とトキオはますます秋さんを尊敬し直した。
 「なんてったって、俺たちには『今泉えみか』っていうカードがあるからな」 秋さんは自信たっぷりに言い放った。
 「おかしいな、なんでこんなこと言うんだろう、秋さんは」
 トキオはひとりごちた。
 先日、シャングリラの川中のデスクからトキオが拝借してきた『えみか』のライブテープを聴いてからの秋さんは、彼女に日本のポップスの未来を見た、と言って有頂天になっていたのだが、そのあとテープの紛失に気がついた川中の厳重抗議によって、えみかへの秋さんとトキオの思いはすでに頓挫していたのだった。
 というのは、彼女はずっと念願だった音楽専門誌の編集部に就職が内定してしまっていて、プロの歌手になる気なんてこれっぽっちもないということを川中には表明していたらしく、人一倍熱心にえみかがシンガーへの道を進むことを望んでいた川中でさえもが誘いを断念せざるをえないほどの状態だったのだ。
 だから、秋さんがいくら思いをつのらせても200%彼女は誘いにはなびきませんよ、と川中は連絡先さえも教えてくれず、けんもほろろに突き放してきたのだった。
 ところがトキオも知らなかったのだが、どうやら秋さんはどうしてもあきらめきれずにあの手この手を裏で使ってなんとえみかとコンタクトをとることに成功したらしいのだ。自信満々の笑みを浮かべて秋さんはオフィスのターンテーブルに『リンダ・ロンシュタット』の「Love Has No Pride」をセットしながら嬉々としてトキオに言った。
 「実は今夜、赤坂プリンスでえみか嬢とお茶の約束してるんだ。トキオも来るだろ?」
 秋さんの行動力にはほとんどあきれるくらいの 信念と執念が裏付けとしてあるのだろう。不可能に近いと思われることにも、それに立ち向かうことを喜びとしているこの人に、トキオはとてもしばらくは乗り越えることができない何かを感じていた。
 赤プリに向かうタクシーの中で、ヴァンダインとエラリークィーンのミステリー比較論を熱心に秋さんが語るのを聞いていたら、あっという間ににホテルの玄関についてしまった。
 緊張の面持ちでティールームで待つこと20分。目印に『平凡パンチ』を持たされた間抜けなトキオを発見すると、えみかは息を切らしながら声をかけてきた。彼女の廻りはぱっと花が咲いたように明るくなった。
 事前に彼女のヴィジュアルに関しての予備知識がまったくなかった秋山&トキオコンビは、予想以上にチャーミングな趣きのえみかに完全にノックアウトされてしまった。運命のミーティングはこうして幕を開けたのだった。
<この項 つづく>

BACK GROUND MUSIC: Don't Cry Now/LINDA RONSTADT

[登場人物]
幾田トキオ(24歳):viva nonレーベル制作担当
秋山圭一(31歳):viva non レーベル顧問
矢野龍(33歳)viva non オーナー
川中賢治(27歳):シャングリラレコード宣伝マン
今泉えみか(23歳):慶応大生、奇蹟のシンガー

【この連載について】
 1974年、まだJ―POPなどと呼ばれていないころの日本の音楽シーン黎明期。主人公・幾田トキオは音楽業界人としての第一歩を歩み始めた。以来30数年、さまざまな場所・局面で出会った個性あふれるミュージシャンや業界人らとの交流を小説仕立てで綴る“ドキュメントフィクション”。執筆者は音楽ユニット「Cosa Nostra(コーザ・ノストラ)」などを手がけるミュージシャン・音楽プロデューサーの桜井鉄太郎氏。同氏のブログは桜井鉄太郎.jp

投稿日: 2008年05月11日

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