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桜井鉄太郎「ユメの行方」第2章―第33回
<1977.04.30 赤坂プリンスホテル ティールーム 2>
秋さんの豊富な音楽知識のおかげで、3人の会話は大いに弾んでいた。えみかはことのほかシックスティーズの音楽に精通していて、さっきから話題が途切れることがない。とくにビートルズのこととなると、マニアックなゴシップも含めてとどまることを知らない。
気がついたら肝心なことに触れずにもう2時間あまりも3人はおしゃべりしている。
「ところで今日の本題って何でしたっけ」
えみかから切り出してきた。さすがに大人の秋さんは理路整然とviva nonレーベルの意義から、えみかのデモテープに出会って衝撃を受けたことなどを、よけいな感情を交えず淡々と彼女に説明した。
「でも、あたし、川中さんにも何度も言ったんだけど、歌手になんてなるつもりありませんよ。もう就職も内定しちゃってるし」
こうあっけらかんと言われても、秋さんは何一つ動揺せずに続けた。
「知ってるよ。音楽誌の編集者を目指してるんでしょ。僕らが今君を誘ってるのはあくまで今回の企画にセッションシンガーとして2曲参加してもらってレコーディングの楽しさを知ってもらいたいってことだけなのさ。なにもガチガチのプロ歌手になれって誘惑してるわけじゃないんだよ。バイト料も出すしさ」
バイト料と聞いて急に女子大生の顔に戻ったえみかは目を輝かせて質問してきた。
「エー!お金もらえるんですかー?」
「そりゃそうさ。歌ってもらうんだから当然ギャラは払うよ、安いけどね。2曲で6万ってところかな」
したたかな手配師のようなポーカーフェイスで秋さんは応答しながら、「バックは『ノックミーアウト』と『ダムエンジェルス』に頼もうと思ってるんだ」とつぶやくと、これが決定打となったようで、えみかは即座に「あたしやります。よろしくお願いします」と応じてきた。
秋さんはえみかに見えないようにトキオの方を向いて会心のガッツポーズをした。
3人は立ち上がると手に手を取って握手した。
「よし、商談成立! うまいものでも食べに行こう」と秋さんは柔らかな笑顔で2人を促した。歩きながらえみかは悪戯っぽく舌を出し2人を振り返って「でもあたしプロにはならないですからねえ」としっかり念押しすることも忘れなかった。
ティールームにはえみかの大好きな『カーペンターズ』の「Close to you」が3人のこれからを祝福するように流れている。が、順風満帆でスタートするかにみえたこのプロジェクトに思わぬ難題がこの後突然持ち上がるのであった。
<この項 つづく>
BACK GROUND MUSIC : 遥かなる影 / CARPENTERS
[登場人物]
幾田トキオ(24歳):viva nonレーベル制作担当
秋山圭一(31歳):viva non レーベル顧問
今泉えみか(23歳):慶応大生、奇蹟のシンガー
【この連載について】
1974年、まだJ―POPなどと呼ばれていないころの日本の音楽シーン黎明期。主人公・幾田トキオは音楽業界人としての第一歩を歩み始めた。以来30数年、さまざまな場所・局面で出会った個性あふれるミュージシャンや業界人らとの交流を小説仕立てで綴る“ドキュメントフィクション”。執筆者は音楽ユニット「Cosa Nostra(コーザ・ノストラ)」などを手がけるミュージシャン・音楽プロデューサーの桜井鉄太郎氏。同氏のブログは桜井鉄太郎.jp


