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B-29への体当たり攻撃と不発弾
■週刊軍事情報
東京都調布市の京王線の線路わきで第2次大戦中の米軍2000ポンド(1トン)爆弾の不発弾が発見され、18日に陸上自衛隊が撤去した。1945年4月7日、中島飛行機武蔵製作所の爆撃に向かっていたB―29に陸軍の3式戦闘機「飛燕」が体当たり、撃墜した際に落下して埋まったものだ。飛燕のパイロットはB―29に体当たり攻撃をする特攻隊員だったのだが、脱出に成功した。しかも驚くべきことに、他にも何度も体当たりをしながらその都度生還していた“執念”のパイロットがいたのだ。
同日襲来したB―29は約100機。調布飛行場の陸軍飛行第244戦隊(戦隊長・小林照彦少佐)などが3機撃墜した。郷土史家の古橋研一さんによると、そのうちの2機は体当たり攻撃によるもので、河野敬少尉が戦死、古波津里英少尉は落下傘で降下した。古波津少尉の体当たりについて当時中学生だった男性がスケッチも残している。
特攻とはいえ、体当たり後は脱出も考えられており、244戦隊は18回体当たり攻撃を行って11回は生還しているようだ。特に中野松美軍曹と板垣政雄軍曹は2度体当たりし、2度とも生還というから驚異的。こうして244戦隊はB―29だけで70機以上撃墜といわれる大活躍をした。
一方、B―29はバラバラになって京王線国領駅周辺に落下。調布市郷土博物館にはこの際のものと思われる酸素ボンベが1個残る。「民家の庭先から出土したもので、戦後の米軍の調査に際して見つからないよう埋めたのでは」と同館。
さらに、「落下してきた左主翼の下敷きになって防空壕にいた一家8人全員が焼死したほか、B―29の搭乗員11人のうち2人が落下傘で脱出できたものの、1人は住民に撲殺された」(古橋さん)という痛ましい出来事も起きている。全滅した一家と米機搭乗員10人は布田駅脇の円福寺にそれぞれ葬られたという。
こうした話について、当時を直接知る人はすでにほとんどいない。古波津少尉も一昨年他界した。63年の時間は重い意味を持つ。
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