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全日本バレー男子、金メダルは大風呂敷ではない

■久保武司編集委員「KUBOログ」
 バレーボール全日本男子が16年ぶりに五輪出場権を獲得した。その立役者は43歳の植田辰哉監督である。

 コート上では「決して笑顔をみせるものではない」というのが信条だが、五輪出場権獲得の瞬間は大の字になって大泣き。「なんか海馬(トド)みたいですね。何も考えず出てしまった」と苦笑い。自然発生的に出た胴上げも「僕は体重(公称90キロ)があるのに、申し訳なかった」と続けた。

 就任3年半で、五輪出場という大願成就を成し遂げた。全日本監督になったのは30代だった。驚いたことばかりだったという。

 「何を聞いても、微妙です、普通です。それに朝食を食べない選手が実に多かった。まずはあいさつを徹底させて、朝食を食べさせることが仕事だった」。バレーボールのエリート軍団であるべき全日本チームが、あいさつすらできない集団になっていたのである。

 そこで植田監督がまず取り組んだのは「技術」よりも「規律」で、喫煙が常習の選手は真っ先に代表から外し、茶髪にピアスは禁止した。マスコミ対応も「普通です」「そうですね」を連発する選手たちには「それではコミュニケーションはとれない」と指摘したそうだ。

 しかし、植田監督は選手にお小言ばかりいう指揮官ではない。今回の五輪最終予選の初戦では、北京の優勝候補の一角のイタリア代表をマッチポイントまで追いつめた。しかし、それから前代未聞の7連続失点で敗退したが「辛いことはオレが背負う。おまえらはバレーだけに集中してくれ」と腹をくくっていた。

 また練習量が格段に増えたのも植田ジャパンの特徴のひとつ。練習での腕立て100回は序の口で、それを38歳の最年長の荻野が懸命にこなす姿を見て、石島ら若手が感動した。

 「38歳のキャプテンがあんなに頑張っているのですから」という石島の言葉を聞いて一番喜んだのが植田監督で「チーム編成したころには、そんな言葉を石島が言うとは想像できなかった」と感慨深く話していた。

 監督とは孤独な仕事といわれる。しかし、そんな植田監督をしっかりフォローしたのが、バレーボール協会の松平康隆名誉会長とバルセロナ五輪で全日本を指揮した大古誠司監督だった。植田監督が出場を決めた際に真っ先に駈け寄ったのは観戦していた大古氏のもとだ。「大古さんはお父さんです」と言い、そしてイタリアに屈辱的な敗退をした夜に真っ先に植田監督へ直接電話したのが松平名誉会長だ。

 「植田、イタリアには勝ったんだんぞ。結果は負けていたがスコアでは勝っている。そう植田には伝えた」と思い悩む植田監督にゲキを送った。「おじいちゃんみたいに厳しく、やさしくみつめてくれた」と植田監督本人も2人に対する感謝の言葉のオンパレードだった。

 今回この五輪予選で敗退したら、バレーボール全日本は完全に死に体になっていた。国内の男子登録チームがバルセロナ五輪から比較すると半分に落ちていたのだ。ここで出場を逃すと20年も空白期間があく。大古氏は「まさに暗黒時代になる手前だった」としみじみ。それを救ったのが愛弟子である植田監督だったというドラマに「本当にうれしい」と目が潤んでいた。

 「メダルを獲ります」と植田監督は断言した。バレーボールの全日本男子には「銀メダルは残念。銅メダルは恥ずかしい」という伝統がある。金メダルは決して大風呂敷ではない。3年半で選手の心をつかみ、先駆者がその指揮官をしっかり見守る。強い組織のイロハができているのが植田ジャパンの強みだ。金メダルをとってこそ、新たな男子バレーの歴史の始まりでもある。

投稿日: 2008年06月14日

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