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「苦節、下積み、不幸」こそ演歌の花道だぁ!!
最近、演歌の世界では黒人歌手・ジェロや盲目の高校生歌手・清水博正、パンチパーマでキメた鼠先輩らニューウエーブが次々生まれている。でもねえ、演歌といえばやっぱり「苦節、下積み、不幸」じゃないの―そう思うのは私だけだろうか。本日は、あえて世のトレンドに背を向け、苦節ウン年の演歌歌手3人をピックアップ。その人生模様をお届けする。
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あらい玉英さん
演歌の歌詞を地でいくような人生を送ってきたのは、先ごろ「五里霧中」(徳間ジャパン)というイミシンな新曲を出した、あらい玉英さん。
2歳のとき、原因不明の脊髄小児まひに襲われ、医者にも見放されたが、母親の懸命な看護により2年後に奇跡的に体は元通りに。命を救ってくれた母の希望で歌手を目指す。
レコード会社主催ののど自慢大会で優勝したのを機に、12歳で歌手を目指して上京。作曲家、船村徹氏の門下生になった。その半年後、日ごろから夫の暴力に耐え兼ねていた母も離婚を決意して上京。あらいさんとの同居生活が始まった。
13歳のとき、「風の子役者」(ポリドール)でデビューするも、鳴かず飛ばずで、いったんは歌手を廃業。しかし、夢をあきらめきれず、18歳、20歳、24歳で再デビュー&廃業を繰り返した。
「レコードを出してもことごとく売れず、食べる物にも困り、自殺を考えるほど苦しい日々だった」と、あらいさんは当時を振り返る。
生活のため仕方なく、歌手をしながらアルバイトで銀座のホステスを始めた。その水がよほど合ったのか、すぐにナンバーワンの座に。歌手にピリオドを打ち、30歳で歌舞伎町に自分のクラブをオープンした。店は大繁盛だったという。
「店からの帰り道、車の中で毎日お金を数えるのが大変でした」
そろそろ2軒目の店を出そうかと思案していたころ、ある人から「作曲家にならないか」と誘われた。一度はあきらめた世界への思いが蘇った。惜しげもなく店を譲り渡し、作曲家に転身。
「実はこのころ株にも手を出していて、一度は儲けたものの最終的には大損(笑)。家だけはなんとか残ったので、気を取り直して本気で曲作りを始めたんですが、『女の作曲家なんて…』と、しばらくは誰も相手をしてくれなかった」
めげずに作り続けるうち、ようやく才能を認められ、香西かおりや細川たかし、山川豊、小林幸子ら大物歌手に曲を提供できるようになった。一昨年には香西の「最北航路」で作詞大賞と藤田まさと賞を受賞。波乱万丈の人生にピリオドかと思いきや、知人のディレクターから「歌手でもう一度やったら」と勧められ、人生何度目かの歌手挑戦を決意。自らの人生そのものとも言えるタイトルの「五里霧中」で紅白を目指すという。
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さいたまんぞうさん
タモリのオールナイトニッポンで「ヘンな歌」として紹介されたことを機に大ブレークした「なぜか埼玉」。そのヒットから、かれこれ27年。さいたまんぞうさん(59)はいま、「歌う審判」として“活躍”している。
「副業で草野球の審判をやっているのですが、名前が売れたおかげで朝から晩まで審判の依頼がビッシリ。歌の方を本腰を入れて売ろうとせず、気が付いたらブームも去っていた。そんなわけで、『なぜか埼玉』ではほとんど儲けていないんです」
歌謡ショーの司会と合わせ、草野球の審判も1試合6000円程度でこなしており、「わりと忙しく過ごしています」という。
そんなさいたまんぞうさん、「なぜか埼玉」のヒット直後、あまり知られていないが、「埼玉オリンピック音頭」という妙な歌も出していた。
「あれは1981年ですね。88年の五輪がソウルに決まり、名古屋が落選してしまいました。ならばせめて歌で遊ぼうか、という意図だったようです」
オリンピックが埼玉にやってくるという、当時としては途方もない夢。そんな“冗談”を軽快な音頭に乗せた、何ともトボけた味の曲だ。
ところが人を食ったような曲のタイトルが、ここにきて現実味を帯びてきた。2016年に東京五輪が実現すれば、埼玉県内の競技場も会場となる予定。本当に埼玉にオリンピックがやってくるかもしれないのだ。
そこでにわかに注目を浴びそうなのが「芸能界のツチノコ」と呼ばれるこの人。「いやー、私ももうすぐ60歳ですからね。もう引退かなと思っている一方、もう1度何かやりたいなという気持ちもある。埼玉でオリンピックですか。オリンピック音頭、どうなるでしょうねぇ」と、けっこう乗り気である。
この夏には北京五輪も開催される。「埼玉にオリンピックを」というデッカイ夢を掲げ、さいたまんぞう再ブレークの予感もアリ、だ。
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千葉山貴公さん
若手も、いろいろ苦労している。横浜育ちの千葉山貴公さん(29)は幼いころ、姉2人の影響で光GENJIの大ファンだった。ところが高校時代、ある演歌歌手のキャンペーンを街頭で偶然見かけ、背筋にゾクッとくる演歌の魅力に取りつかれてしまった。
立命館大を卒業後、演歌の道に飛び込んだ。だが、「事務所に所属していなかったので、いろいろ考えた結果、パソコンを使って自分をPRすることにしました」。
まだ「ブログ」なんて言葉もないころからホームページを開設し、インターネット上で自分をPRするための日記をつけ始めた。そのホームページのおかげで、ネット経由で歌の仕事を依頼されることも結構ある。演歌とITは縁遠いイメージだが、千葉山さんはその両者を結びつけた(おそらく)世界初の「IT演歌歌手」である。
「ネットを通じて、趣味で作詞・作曲をしている方と知り合ったり、ミクシィの『演歌好きな人コミュニティー』に顔を出して、オフ会(実際に集まる会合)を開いたり。こうした方法でファンと交流できるのはネット時代ならではの良さだと思います」
ネットのコミュニティーで知り合った人たちはもともと演歌に興味があるため、「カラオケもプロ並みの人が多い」。会場を借り、自分が北島三郎や小林幸子になりきって熱唱する「なりきり歌謡ショー」も定期的に開催し、ファンと一緒に楽しんでいる。
もっとも、ITを活用しているからといって、ベンチャー起業家のように大儲けというわけにはいかない。キャンペーン回りやFMローカル局のパーソナリティーなどで糊口をしのぎ、「ギリギリ食べられている」と苦笑いする。
ホームページの「応援して下さい!」というページには「インターネットでリクエスト大作戦!」「CDレビューを書こう!」という項目があり、音楽関連の各サイトにリンクが張ってある。自身も、暇を見つけてはせっせと自分の曲をリクエストするという地道な努力を続けている。
「この人みたいになりたい、という目標は特にありません。自分ならではの演歌、演歌歌手とは何なのか。ずっと模索していきたいですね」

