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桜井鉄太郎「ユメの行方」第2章―第41回
<1978.08.15 成田空港カフェテリア 『trees』>
成田空港のターミナルのはずれにあるカフェテリアで、つい数十分ほど前に、えみかや秋山、宮本らを送り出したばかりのトキオは、ある種の虚無感に襲われながら、いま自分が置かれている立場を何ひとつとらえ返せないでいた。
この数週間、どんどん具体的に進んでいった『今泉えみか ファーストアルバム』レコーディングプロジェクトには、いちおうトキオも参加してはいるものの、まだ引き継ぎ中のviva nonの仕事から完全に解放されたわけではなく、相変わらず4店舗のブッキングとレーベルの運営に関する煩雑な任務をこなし続けなければならない立場にあったし、見山旬のライブレコーディングはいちおう完了し一定の評価は獲たものの低予算で作ったがゆえの様々なほころびは隠しようもなく、トキオがイメージしていた「ランディニューマンLIVE」とは相当かけ離れたものになってしまい、旬や周辺の人々のトキオに対するある種の不信を生じさせてしまっていた。
1カ月前に秋さんが下北沢スパイクに息せききって駆け込んできて「真っ先にトキオに教えようと思ってさ」と、えみかのCICとのレコード契約が決まったこととLAでのレコーディングセッションが正式に成立したことを伝えにきてくれた時の喜びは、いまでもトキオにとって忘れがたい出来事となっている。
これでやっと秋山ファミリーの仲間入りが出来たと思ったのも束の間、そのあと怒涛のようにviva non関係のスケジュールがトキオに押し寄せてきて、ライバルであるCICレコードの宮本が嬉々としてえみかレコーディングの準備に励んでいるのを横目でにらみつつ激しい焦燥感にかられていた。
宮本はトキオより4歳年長だが東大を8年かかって卒業し3年前にCICに入社したばかりの、いわばトキオとは同期みたいなものである。そんな彼が、このところ秋山の引きで、大間冴子のCIC移籍第1弾や今回の今泉えみかのデビューアルバムの制作を手掛けるという大飛躍をとげているのに比べて、トキオはviva nonレーベルを興しレコードディレクターとしてのキャリアをスタートさせたものの何となく足踏みしてる感がある。
ただ、引き継ぎの作業をクリアしviva nonレーベルのvol.3とvol.4のリリースを無事完了すれば、約4年勤め上げたviva nonでのキャリアを卒業し、晴れて秋山のオフィス『フェイスフル』に加入することになっていた。
もちろん、龍さんには感謝していたし、viva nonのスタッフ達とも別れがたいものがあったけれど、新天地で思う存分『音楽を創る』ということにチャレンジできることに、より強い魅力を感じていた。
焦る気持ちを抑えてこの機会にもう一度自分のやるべきことを突き詰めてみよう、トキオはそんなことを考えながら、高校時代に通っていた高円寺のロック喫茶『キーボード』に行ってみた。ここはトキオのロックの原点となる、いわば聖地のようなものだった。
高校時代と同じくゴローちゃんがまだ店長として在籍していて、トキオの顔を見るなり黙って大甘なホットココアを入れてくれた。おまけに大好きだったFACESの『馬の耳に念仏』をかけてくれた。こうして久々に自分を取り戻したトキオだったが、ふと我に帰ると、薄暗い店の奥でさっきから自分を見つめている人物がいるのに気がついた。その人は…。
<この項 つづく>
BACK GROUND MUSIC :馬の耳に念仏/ FACES
[登場人物]
幾田トキオ(24歳):viva nonレーベル制作担当
秋山圭一(31歳):オフィス『フェイスフル』代表
宮本繁之(28歳):CICレコード ディレクター
沢田ゴロー(30歳):ロック喫茶『キーボード』の店長
【この連載について】
1974年、まだJ―POPなどと呼ばれていないころの日本の音楽シーン黎明期。主人公・幾田トキオは音楽業界人としての第一歩を歩み始めた。以来30数年、さまざまな場所・局面で出会った個性あふれるミュージシャンや業界人らとの交流を小説仕立てで綴る“ドキュメントフィクション”。執筆者は音楽ユニット「Cosa Nostra(コーザ・ノストラ)」などを手がけるミュージシャン・音楽プロデューサーの桜井鉄太郎氏。同氏のブログは桜井鉄太郎.jp
