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瀬名秀明「イヴのみる夢」(41)全世界に希望を与えたiPS細胞
大学で基礎生命科学を研究するNさんのもとへ連絡が入った。弟がフリークライミングの練習中、事故に遭ったという。驚いて病院に駆けつけると、弟の妻や子どもは真っ青な顔だ。Nさんは集中治療室の様子を尋ねる。以前から共同研究をしている医学部の教授が急いでやってきた。
「弟さんは脊髄損傷だ。きみも知っているだろう、首の骨の後ろに神経の束が走っている。その脊髄に傷がつけば、脳の信号が体に届かなくなって麻痺が起こる。弟さんを治療するには神経幹細胞の移植しか方法はない」
「すぐに移植してください」
弟の妻が懇願する。だがNさんはその難しさを知っていた。傷ついた直後は炎症がひどいため、移植しても細胞が生着しないのだ。
「9日後に移植するのがベストタイミングです。それ以前でもそれ以降でも移植はうまくいかない。スタッフはいま9日目に向けて、弟さんの皮膚の細胞から神経幹細胞をつくるところなんだ」
「iPS細胞の移植バンクは?」
「ぴったり適合するストックがないんだ。弟さん自身の細胞なら免疫拒絶も心配ない」
「しかしあと9日しかない」
「皮膚の細胞からiPS細胞を経由せずに直接MAC9(マックナイン)細胞をつくる。きみも見守っていてくれ」
MAC9は最新の治療法だ。教授の言葉にNさんは言葉を呑み込む。そして思う、もしこの事故が10年前だったら弟は助かっただろうか、そして2038年のいまなら弟は助かるのだろうか?
◇
2007年11月、京都大学の山中伸弥教授らのグループがヒトの皮膚細胞からiPS細胞を作成したと発表し、全世界に衝撃と希望を与えた。iPS細胞とは人工的につくられる「多能性幹細胞」のことだ。iPS細胞で未来の医療はどのように変わるのか。
これから6回にわたって幹細胞の謎に迫ってゆこう。iPS細胞だけでなくES細胞や体性幹細胞と呼ばれる細胞もこの物語の主役だ。
なぜ人間の体は傷ついても一部しか元通りにならないのか。幹細胞とはいったい何か。そしてNさんの弟を治療する架空のMAC9細胞はいつか本当に実現するのか?
■瀬名秀明「イヴのみる夢」
(40)応用範囲広し"テラヘルツ波"
(39)脳の"可塑性低下"うつ病の原因
(38)「医工学」が生んだ人工網膜
(37)未来技術の"予言"を一般公募
(36)感情スイッチで皮膚に紋様
(35)蛇のように膜でドライアイ防止
(34)未来の福祉ロボットのヒント
(33)他者の痛みが分かる「感情移入」能力
(32)セクシー美女が大バクチを呼ぶ
(31)骨伝導で語学学習や音楽を堪能
(30)体格と性格の相関をメタボ対策に応用
(29)お菓子感覚でキッズサプリ
(28)ご飯のお供にワクチンふりかけ
(27)歩くだけで5ワット! 人体発電機
(26)ミトコンドリア・ダイエット
(25)肥満解消に魔法の弾丸
(24)脳に埋めたチップが支援
(23)遺伝子操作で神経回路オン・オフ
(22)細胞をプリンターで印刷
(21)家禽の遺伝子改変で抑制も
(20)脳を活性化するサービス
(19)日本語は感染症予防に効果的!?
(18)心の痛みに効く処方
(17)“予知”能力もトレーニングできる
(16)「ゆらぎ」を活用する生命
(15)標識付きウイルスで伝播追跡
(14)父親から受け継ぐ「寿命の回数券」
(13)人類のⅠ型糖尿病も同じ!?
(12)「し忘れ」と「し間違い」の脳科学
(11)体外離脱でメンタルヘルスケア
(10)仮想空間で運動障害をリハビリ
(9)「アルツハイマー病予防で残りの人生謳歌」
(8)「ロボットと運動する楽しさ」
(7)「ペットが分身に?」
(6)「オヤジ臭さ」撃退!
(5)「人間の脳と機械の体を"融合"」
(4)「自分の脂肪でケータイ充電」
(3)「自分の一部を機械が操作」
(2)「ゲノム情報を読み取る」
(1)「ミトコンドリア占い」

