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送る人も10年余りでガラリ 当世お葬式考

お葬式 高齢化社会が喧伝されて久しいが、後期高齢期→終末期の次に迎えるのは「葬式」だ。現在約110万人の年間死亡者数は2040年の165万人まで増加一方という予測だが、葬式スタイルはこの10年余りでずいぶん様変わりした。当節の葬式を考えてみた。

 終戦後まもない1951年、死亡者の83%が自宅で息を引き取った。それが2003年には、病院と診療所が82%、自宅はわずか13%で、この傾向は一段と進行している。葬儀を行う場所も、かつては半数以上が自宅だったが、現在は2割を下回ると推定される。増えたのは「葬儀場」や「葬祭会館」だ。このことは何を意味するのか。

 「かつては病院で亡くなっても“宅送”され、通夜の前に三具足(みつぐそく=香炉・燭台・花瓶)の枕飾りを供え、僧侶があげる枕経を聞きながら遺族は、どういう葬儀にするか考える時間があった。それが今は遺体が病院から直接、葬儀場へ運ばれる。生活の中で死を認めることがなくなった。遺族の負担が軽減したとはいえ、私には歪んだことにも思えるのです」と話すのは、隔月刊誌「SOGI」編集長の碑文谷創氏。まさに「メメント・モリ」(ラテン語で、死を思え)が消失したわけだ。

 碑文谷さんによると、戦後の葬式スタイルは次のように変遷した。

お葬式 まず、戦争中は大勢が死にながらロクな葬式ができなかったため、戦後社会が安定してきて「人並みの葬式を」となった。それが、やがて「他人より立派に送ってやりたい」と、だんだん派手になっていった。

 このころまで、葬式の担い手は地域共同体、つまり“地縁”だった。しかし、高度成長期に農村社会は崩壊し、葬式も“社縁”が主流に。総務課員や若手社員が手伝いに駆けつけた。

 そんなことも今では珍しくなった。キッカケはバブルの崩壊だったという。

 「経済だけでなく、価値観も変えたのです。それまでオープンなものだった葬式が急速に“個人化”していった」

 2005年の平均会葬者132人に対し、バブルの1991年は280人と倍。しかし、本人を知る人はその3割、残りの7割は義理で、葬儀場で悲しんでいなかったのだ。形骸化への反発も高まり、本人も「大がかりにして周りに迷惑をかけたくない」と遺言して、会葬者は減っていったという。

 「そのころから、団塊やその下の世代が喪主の主流になったこともスタイルを変えました。今後は、長生きするほど現役時代から久しくなり、会葬者はますます減るでしょう」

 そう話す碑文谷さん、自身の葬式の希望は?
 「家族や友人が考えてくれるでしょう。『盛大にやってくれ』と言うのがおこがましいのはもとより、『地味に』『葬儀なんて出すな』というのも余計なこと。遺族には“弔う権利”があるのです。自分の葬式こそどうでもいいが、親の葬式はきちんとしたい、友人の葬式には駆けつけたいというダブルスタンダードは人情なのです」

投稿日: 2008年08月01日

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