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桜井鉄太郎「ユメの行方」第2章―第44回
<1978.08.15 六本木バー『ジョルジョ』>
ネリの腕をとるとトキオは店の奥にあるダンスフロアに連れ出した。顔なじみらしい店員たちが次々にネリに声をかけてくる。この店で定期的にブルースを歌い出したのは彼女がまだ18歳のころだったらしい。
ネリの最初のファンはこの店のオーナー『ジョルジョ』こと寺田だった。彼は5年ほど前までCICレコードで音楽プロデューサーをしていたという。
まばらにいる客をかき分け、ネリとトキオはジュークボックスの前まで行き、何曲かリクエストしてからフロアの外れのボックス席に腰を落ち着けた。ネリはトキオの手の上に自分の手を重ねると真顔になってすがるような視線をトキオに向けた。切実な瞳が震えるように潤んでいる。
「あたしはここのボスの女なの。でも、もう終わりにしたいんだ。悪い人じゃないんだけど、もう一緒にいるのは辛くて苦しくて切なくて。それにあたしはまだ本当の恋をしたことがないんだ。ボスとのことは恋じゃない。でも、あなたに今日あった瞬間、あたしの中で何かが変わるのがすぐにわかったんだ」
トキオは今まで生きてきて女の子にこんなに直接的に求愛されたのは初めてだった。忘れようとしてどこか吹っ切れていなかったルミとのしがらみもこれで断ち切れるような気がした。
トキオはネリの問いかけに返事をする代わりに彼女の手をきつく握った。するとジュークボックスからはさっきトキオがリクエストしたオーティスレディングの『Try A Little Tenderness』がタイミングよく流れ出した。
ネリはトキオに体を預けるようにようにして囁いた。
「あたしは今夜からあなたの女になる。いいでしょ?」
これ以上ないほど情熱の籠った瞳で見つめてくるネリを抱き寄せながらトキオは口の中で何か言おうとしたけれど途中で止めた。気の効いた言葉を言う代わりに強くネリを抱きしめ、トキオはそのまばたきひとつしないで見つめてくる彼女の瞳を覗き込みながら、この娘を決して離さないと決意するのだった。
突然、トキオの首のまわりにネリの手が軽くまわされ、そして唇のうえに彼女のなめらかな唇が柔らかく重ね合わされてくるのを感じた。熱く燃え上がる感情とともに、そのとき不意にトキオの中にある不安めいたものが芽生えた。
するとネリは急に目を見開き驚愕の表情を浮かべた。2人の視線の先にはいつのまにかガッチリした体格の男が立ち塞がっていたのだった。
<この項 つづく>
BACK GROUND MUSIC : OTIS REDDING GREATEST HITS
[登場人物]
幾田トキオ(24歳):viva nonレーベル制作担当
ネリ(20歳):ブル-スシンガーの卵
【この連載について】
1974年、まだJ―POPなどと呼ばれていないころの日本の音楽シーン黎明期。主人公・幾田トキオは音楽業界人としての第一歩を歩み始めた。以来30数年、さまざまな場所・局面で出会った個性あふれるミュージシャンや業界人らとの交流を小説仕立てで綴る“ドキュメントフィクション”。執筆者は音楽ユニット「Cosa Nostra(コーザ・ノストラ)」などを手がけるミュージシャン・音楽プロデューサーの桜井鉄太郎氏。同氏のブログは桜井鉄太郎.jp
