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桜井鉄太郎「ユメの行方」第2章ー第46回

<1978.08.15 下北沢viva non>
yume20080817.jpg ビージースージースーの勇姿を見ることに心奪われるあまり束の間トキオの関心がネリから離れた一瞬、彼女はとんでもない行動に出た。なんとステージに上がってMCを始めたのだ。
 「みんな あたしはネリ。このviva nonをもうすぐ卒業するトキオの彼女に今日なりました。挨拶がわりに1曲唄うから聴いて!」

 そう言うとアカペラで Billy Holidayの「ストレンジフルーツ」を披露しはじめた。ザワついていた客席はまたたくまにシーンと静まり返る。マイクも使わず地声で唄うネリの魂のブルースはオーディエンスの心をアッというまに鷲づかみにした。
トキオは湧き上がる高揚感と感動を味わうと同時に不安に近い非現実感を覚え始めていた。薄く目を閉じたまま唄い終えたネリはステージの袖で圧倒されて聴いていた麦田公助を呼び寄せると無言で抱きしめた。
 トキオには不思議と嫉妬感は生まれなかった。何をやってもさまになるこのネリという名のハタチの女の子に、パフォーマーとしての稀有な才能が潜んでいるということをこの時見抜いたのは、トキオだけではなく、この場に居合わせた全ての人間達だろう。
 公助はすぐさま我に帰るとステージにメンバーを呼び寄せいつもの数倍ものエネルギッシュなライブを繰り広げ始めた。するとステージ袖に戻ってビールを飲みながら一息ついていたトキオのもとにシャングリラレコードの荒垣が息せき切ってやってきた。
 「トキオ 誰なんだあの子は! ホントにお前の彼女なのか?」
 トキオは返事に困り曖昧な表情で答えた。
 「たぶん、そうらしいですよ」
  熱狂的なビージースージースーのシークレットライブは無事に終了したが、そのあとの無礼講の打ち上げの席でもネリの存在は主役を食うばかりの勢いだ。すっかり躁状態になった彼女の熱を冷まそうと、トキオは外にネリを連れ出した。
 すると2人の後を追って出てきた荒垣がトキオの肩に手を回し食事に誘ってきた。特に断る理由もないのでネリに同意を求めると、異存はないようなので3人で遅い晩餐を共にすることになった。
 viva nonから歩いて5分ほどの、荒垣が隠れ家的に使ってるというスペイン料理屋に入る。トキオが最も信頼をよせる業界人の荒垣はビージースージースーのデビュー曲をヒットチャートのBEST3に最近送り込み今や飛ぶ取り落とす勢いのレコードプロデューサーであった。
 席に着くなり注文も後回しで荒垣はネリを質問攻めにする。戸惑う彼女をかばう意味でトキオは店員に言ってBGMをかけてもらうことにした。特に期待もしてなかったら、なんと「ジミヘンドリックス」の『BOLD AS LOVE』が流れてきた。
 すっかりテンションがあがったトキオとネリは荒垣の奢りであることをいいことに片っ端から料理を頼みまくりビールを飲みまくった。ひとしきり落ち着くと荒垣が2人に驚くべき提案を持ちかけてきたのであった。それは…。
<この項 つづく>

BACK GROUND MUSIC : BOLD AS LOVE / JIMI HENDRIX

[登場人物]
幾田トキオ(24歳):viva nonレーベル制作担当
ネリ(20歳):ブル-スシンガーの卵
荒垣渡(29歳):シャングリラレコードディレクター
麦田公助(22歳):ビージースージースーのリーダー
【この連載について】
 1974年、まだJ―POPなどと呼ばれていないころの日本の音楽シーン黎明期。主人公・幾田トキオは音楽業界人としての第一歩を歩み始めた。以来30数年、さまざまな場所・局面で出会った個性あふれるミュージシャンや業界人らとの交流を小説仕立てで綴る“ドキュメントフィクション”。執筆者は音楽ユニット「Cosa Nostra(コーザ・ノストラ)」などを手がけるミュージシャン・音楽プロデューサーの桜井鉄太郎氏。同氏のブログは桜井鉄太郎.jp

投稿日: 2008年08月17日

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