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本当は清原を欲しくなかった?長嶋監督

■久保武司編集委員「KUBOログ」
 プロ野球の番長こと清原和博が23年間の現役生活を終えた。

 イチローの電撃参戦に長渕剛の熱唱など、今後も2度とないような演出で清原も号泣。「ありがとうございました」と頭をたれる姿は確かにひとつの時代が終わった思いがした。

 ただ感動したかといえば…それはうなずけない。あの人の言葉を思いだしたからだ。「ええっ。清原ですか?あのフォームでは絶対にインコースは打てません。腰がキレないんです。はい。絶対打てませんよ。はい」。

 今から11年前の2月、この秋にFA移籍で「僕の胸に飛び込んできてほしい」と清原を口説いた長嶋茂雄監督の言葉だ。当時、担当記者をしていた。毎日朝から夜まで33番を追いかける日々を過ごしていたが、この清原に対する言葉は1対1の直撃で聞けた言葉だった。そしてこの時の長嶋監督のまなざしは紛れもなくマジな視線だった。

 清原が入団したときに西武を指揮していた名将・森監督は「いいか。清原のバッティングフォームを絶対にいじってはいけない」と、コーチ陣に忠告したそうだ。ルーキーイヤーの清原は31本の本塁打を放ち、100号までは史上最速だった。それほどの大打者だったが、長嶋監督は「清原はインコースは打てない」と指摘した。また、パワー神話におぼれ体重を増やしたことで故障が増えたのも清原を清原ではなくしてしまった要因となった。

 巨人に入ってからも確かにインコースを振り切った打法は一度たりとも見たことがなかった。そして増えていくのは体重ばかり…。その形相もみるみる悪くなり『球界の番長』というニックネームがつけられたのもこの頃だった。

 長嶋監督は「清原はインコースを絶対に打つことができない」と力説していた。本当は清原は「欲しくなかった」のだという思いが今でも離れない。それを確信したのは、97年のオフに実現した清原の巨人入団発表記者会見の席のことだ。

 笑顔がなかった。長嶋監督が清原に巨人軍の帽子をかぶせる時には口をへの字にして清原にかぶらせたのだ。当時は巨人が落合を筆頭にしたFA移籍ラッシュで、長嶋監督の「欲しい病」まで言われたが清原だけは心底欲しくなかったのだと今でも思っている。

 清原はその後、巨人を移籍してオリックスに移った。この2年間は満足に動くこともできずに1億円を超える年俸をもらっていた。インコースどころか、ど真ん中のストレートも打てなくなっていた。これはいくらスターとはいえ明らかに引き際を誤った選択だった。

 確かに清原は球界の功労者ではある。それでも「ご苦労様」というコメントで送り出した長嶋監督。花束を贈る際に「生まれ変わったら同じチームでホームラン競争をしよう」と心からの言葉で清原と握手をした王貞治監督の器の大きさと人徳の深さをを改めて実感した清原の引退劇だった。

 アルファベットを使ったコンビ名はONが元祖である。それ以来となったKKコンビも野球界に素晴らしい歴史を作った。しかし、ONに越えるためには2人が決して成功したとはいえない「監督業」でのリベンジが清原和博には待っている。

投稿日: 2008年10月07日

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