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「元気のヒミツ」中村泰士さん―うつ病克服 女性が助けた
『今は幸せかい』(佐川満男)、『喝采』(ちあきなおみ)、『北酒場』(細川たかし)などのヒット曲を生み出し、今年作詞・作曲家生活40周年を迎えた中村泰士さん(69)。過去には、「歌が書けなくなったことからうつ病となり、一時は自殺も考えた」と初告白した。
1972年の日本レコード大賞受賞曲『喝采』の大ヒットから3年後、中村さんは「あの歌を超えるものは作れない」と悩み、「全身が鎧兜で覆われたかのように、どんな音楽を聴いても無感動になっていった」という。
確実にうつを自覚したのは、友人のひと言だった。
「関西の友達と飲んだ翌日、『おまえ、昨日は全然しゃべらなかったけど、うつ病と違うか?』って」
新聞、テレビを見る気になれず、何をするにも億劫で引きこもり、ある時から死を考えるように…。
「車を運転して高速道路のカーブにさしかかると、このままハンドルを切らずに逝っちゃいたい、と思ったり。僕が死ねば、『喝采』がもっと名曲として残るのではと思った」
ビルの屋上から飛び降りようとしたこともあった。
「だから、今もそのときの恐怖が脳裏に焼きつき、完璧な高所恐怖症になってしまった」
そんな状態が約2年半続いたなか、中村さんは独自で打開策を考えた。
「男ですから、女性に助けを求め、いまでいうソープランドに通い詰めた。しかも、何もかも忘れさせてくれるプレー好きな女性を紹介してくれと…。するとその娘のところに通っているうちにだんだん心を開くことができ、気持ちが明るくなってきたんです」。さらに「自分が作った過去の音楽を聴くようになり、それが愛しく、自分を褒めることで自信がついてきた」。
その後に生まれたヒット曲が、2度目のレコード大賞受賞曲『北酒場』。まさに『喝采』から丸10年目の快挙だった。
現在は健康のため、気功で体と対峙し、ストレスは「水に浮くこと」で解きほぐしている。
「海、川、またはプールや自宅の風呂で仰向けにプカプカ浮いて、頭を耳まで沈めると、ゴーっという音が母の胎内にいるような感じになって気分がリラックス。疲れが一気に抜けていきます」
今後は「人生を楽しむ」ことをコンセプトに楽曲作りをするという中村さん。
「もし今、ちあきなおみが、『はい、私歌います』と小指1本でも上げたならば、僕がまっ先に歌を作りたい」と意欲をみせた。
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なかむら・たいじ
1939年、奈良県生まれ。美川鯛二として歌手デビュー後、作詞・作曲家に転身。以後、ザ・ピーナッツの『大阪の女』、ヒデとロザンナの『愛は傷つきやすく』など次々とヒット曲を生む。一方でタレント活動を続けテレビ、ラジオなどでも活躍。新曲『俺…』(Doプロデュース・キュートナーレーベル)が有線で急上昇中。

