2008年06月29日
桜井鉄太郎「ユメの行方」第2章―第39回
<1978.07.15 南青山オフィス フェイスフル>
「あー、本物だ!」
思わずトキオは叫んでしまった。秋山のオフィス「フェイスフル」の応接室のソファには長い足を組んで柔和な微笑みを浮かべている加賀武彦が待っていた。
日本のフリープロデューサーの草分けで音楽シーンの中で常に変革を企て続けている加賀は、その野心的な生き方とは裏腹に実にジェントルな人格者だと評判だった。トキオにとって憧れの人であり目標でもあったのだ。
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2008年06月22日
桜井鉄太郎「ユメの行方」第2章―第38回
<1978.07.15 下北沢いーはどーも―広尾病院>
トキオはすぐさま行動を開始した。龍さんとも面識のある曜子も一緒に『いーはどーも』を出てナイス白井の先導のもとタクシーをつかまえ、龍さんの入院先の「広尾病院」に向かった。
いま、viva non総帥の龍さんに何かあったら大変なことになる。対立することもあったが、トキオにとってこの4年間は龍さんの存在がなければとても成立していなかっただろう。
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2008年06月19日
宋文洲の会社員哲学(14)名ばかり自己満足の役職
夫が課長になった日に奥さんは赤飯を炊きます。40代になっても管理職になっていないと奥さんは近所で顔を上げられません。それだけ日本の会社員は管理職を社会的立場と勘違いして、好き嫌いと関係なく管理職を目指すのです。
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2008年06月15日
桜井鉄太郎「ユメの行方」第2章―第37回
<1978.07.15 CICレコード&下北沢いーはどーも>
秋山はそこにいる誰もが予想外のことを言い出した。
「僕は昨日の晩決意したんだ。今泉えみかは僕のプロデュースでデビューさせようと思っている」
「えー? で、も彼女はもう就職が内定していて音楽雑誌の編集者になってしまうんじゃないんですか?」とトキオ。
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2008年06月08日
桜井鉄太郎「ユメの行方」第2章―第36回
< 1978. 07.10 原宿フレンチレストラン「tourjours」>
「ねえ、せっかくこうして6人の女の子が運命の出会いをしたんだからさあ、このチームでライブやろうよ!」
えみかの突然の提案に最初驚きを隠せないでいた面々も、やがて口々に賛同し始め、ついには『viva non girls』としてグル-プ活動をしていくことを彼女達は決定してしまった。
当然あらゆる段取りはトキオがやることになるわけで、レコーディングが一段落してホッとしたのも束の間、さらに重要な案件が彼の肩にのしかかってくることになった。
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2008年06月01日
桜井鉄太郎「ユメの行方」第2章―第35回
<1978. 06.25 シャングリラレコード第2スタジオ>
viva nonレーベル第2弾『viva non jam vol.1』のレコーディングも佳境を迎えていた。前作と打って変わって,シャングリラレコードの誇る最新鋭のスタジオを惜しげもなく長時間使っての録音はこの1カ月というもの連日のようにトキオの指揮のもと行われていた。
今回はオーナーの龍さんも一切口出ししないという約束のもと、トキオがセレクトした6人の歌姫たちをバックアップして、viva nonをフランチャイズにしている精鋭ミュージシャン総勢50人あまりが参加する一大セッションアルバムなのだ。
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2008年05月25日
桜井鉄太郎「ユメの行方」第2章―第34回
<1977. 05.10 シャングリラレコード ロビー>
えみかとの交渉ごとが何とかうまくいったものと思い込み、胸を撫で下ろしていたトキオのもとに、シャングリラレコードの川中が突然怒りの電話をしてきた。
すぐさま呼び出されたトキオはシャングリラレコードのロビーに何はともあれ急行した。あいにく、頼りの秋さんは名古屋出張で不在だ。顔を赤鬼のように紅潮させて川中は待ち受けていた。
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2008年05月18日
桜井鉄太郎「ユメの行方」第2章―第33回
<1977.04.30 赤坂プリンスホテル ティールーム 2>
秋さんの豊富な音楽知識のおかげで、3人の会話は大いに弾んでいた。えみかはことのほかシックスティーズの音楽に精通していて、さっきから話題が途切れることがない。とくにビートルズのこととなると、マニアックなゴシップも含めてとどまることを知らない。
気がついたら肝心なことに触れずにもう2時間あまりも3人はおしゃべりしている。
「ところで今日の本題って何でしたっけ」
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2008年05月11日
桜井鉄太郎「ユメの行方」第2章―第32回
<1977.04.30 赤坂プリンスホテル ティールーム>
viva nonレーベルは4月25日にめでたく第1回のリリースを果たし、トキオもレコード店からレコード店へとサブを伴い挨拶回りに奔走するが、どうも行くところ行くところ反応が薄い。レコードもさっぱり売れている気配はないようだった。
viva non各店でも常連さんを含めライブを見に来たお客さんに、半ば押し売りのようにある時は泣き売のように押しつけなければ、とてもさばけない始末。大方の客の声は「どうしてもっとviva nonぽいものにしなかったの?」だった。
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2008年05月04日
桜井鉄太郎「ユメの行方」第2章―第31回
<1977.03.25 シャングリラレコード本社>
トキオの願いはついに叶った。この数カ月、企画書書きから始まってテープオーディション、アーティスト面接、レコード会社巡り、そしてとうとうviva nonレーベルの発足にまでこぎつけた。
秋山圭一プロデューサーの指導のもと、トキオは新米レコード制作者の道に踏み込めたわけだ。5社ほどのレコード会社を企画書を手にまわり、最終的には業界で売上No.1を誇っていたシャングリラレコードが手を挙げてくれて契約の運びとなった。
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